ドキュメンタリー的に今を描くことに心血を注いだ作品だなと感じた。
反面意図的にフィクションとして配置される映像やセリフに自分との距離感がわからなくなったのだが、そこをリリーフランキーが繋いでくれたのには驚いた。
よくわからない世界に知った顔がいたので、ああ、ここは自分とも地続きの世界なのだと。
アイヌをルーツに持つ彼らに日本語上手ですねという観光客。現地の方の話をたくさん聞いてつくられた作品だというから、本当にこんな人もいるのだろう。
自分は東北に住むから彼らの言葉には馴染みを感じたし、言ってしまえば関西圏の方がよっぽど異国だ。
長らく同じ国、文化の中にいると言う線引き、国という引かれた線。
これがどれほどに我々のアイデンティティを形作っているのか。
その他大勢と異なるルーツを持つ、それゆえに成り立つ生業、その現状、それに対する嫌悪、形骸化によるその根幹の喪失、それを見つめ直すこと。
それらは彼らの自覚を前提としているもの。
その点に無自覚な日本人は沢山いる。
きっと特に、日本には。