Ryoma

街の灯のRyomaのレビュー・感想・評価

街の灯(1931年製作の映画)
4.0
僕は常々、映画を観るということは、絵画を観るということよりも、音楽を聴くということに近しいんじゃないかと、そういう風に考えてきた。つまり、映画とはショットの連続であって、その積み重なるショットの中に、リズムやメロディーやハーモニーがあって、そこに身を委ねることの心地よさが、まるで音楽を聴くときの心地よさのように、映画を観ることの本質的な醍醐味であるんじゃないかと、そういう風に感じてきたのだ。逆に、どれだけ一つ一つのショットが絵画的に美しくても、リズム・メロディー・ハーモニーがなっていないと、映画はダメになってしまうと思う。だから、時間芸術と空間芸術の両方の要素を孕む映画ではあるが、実は時間芸術(=音楽)の要素の方が、空間芸術(=絵画)の要素よりも、断然大きいんじゃないかと、いい映画を観終える度、いつもそう思うのだ。
そういう意味でこの映画「街の灯」は、きわめて音楽的な映画だと言える。それはチャップリンのコミカルな動作や、それを捉えるカメラワーク・カット割りが、きわめて軽快なリズム・メロディー・ハーモニーを奏でていて、まるで音楽のような滑らかな流れを感じさせるからである。観客は、ただその「流れ」の中に身を浸し続ければよい、とも思えて、極端に言えば、チャップリンの音楽的なパントマイムが、映画という箱の中に収まっていさえすれば、もうそれだけで物語の筋・展開など関係なく、一級品の映画になり得るんじゃないかと、そうとも思える位だ。つまり、台詞を用いないサイレントだからこそ、台詞ではなくショットで語ることの大切さ、そして映画本来の音楽的興奮を、私たちに再認識させてくれるという訳だ。
また無論、この映画は、笑える。この笑いは人間の本能的な部分をくすぐってくるような感じで、普遍的で、シンプル。まあ、だからこそ、それをやってのけるのは難しいんだろうなあと思うのだけれど、例えば時事ネタや複雑な笑いなどは、今見る分には面白いけど、100年後観た時に、果たして笑えるのかなあ、ということであって、そう考えると、この言葉を使わず動きだけで表現するシンプルさが、時代・国境を超越する理由の一つであると思える。しかし、それでも多くの作品は百年の間に朽ちてしまうことを鑑みると、この作品の一見シンプルな笑いが、どれだけ計算・洗練されつくされているのかと思って、瞠目せざるを得ない。
最後に、やはりあのラストシーンに触れておかなければならない。ラストシーンは、後日談になっていて、まあ後日談という性質上、過去と現在のどうしようもなく哀しい距離感というか、そういう虚無的な雰囲気が漂っていて、もうそれだけで胸が締め付けられる。そして、重要なのが、このシーンが悲劇とか喜劇とかを超越した、ある種の繊細で哀しい「詩」を、観る者の心の中にそっと吹きかけてくれるということだ。それはもう、物語の筋や意味などを容易に吹き飛ばすほどの魔力的なもので、最後のチャップリンの微笑みのクローズアップが、それらすべてを象徴していると思う。僕は、そんなシーンな中に、研ぎ澄まされた映画の詩を、ひしひしと感じ取って、静かに震えた。
Ryoma

Ryoma