Joker

ファイブ・イージー・ピーセスのJokerのネタバレレビュー・内容・結末

5.0

このレビューはネタバレを含みます

今作は500作目ということで、普段なら何がテーマで登場人物は何を感じるというのは分かるだが、今回は上手く汲み取ることが難しかった。

それは映画の出来が悪かったり、難解だからではなく、ボビーが心の内を表すことが少なく何を思っているのか分かりにくいのにもかかわず、個人的に彼にすごく共感するところがあって上手く自分の中で言葉に出来ないからだと思う。

ボビーは元は育ちは良く、ピアノの教養があって昔は良い生活をしていたのだと思う。今は石油採掘場で身体を張って仕事をしているが、そんな彼には自分を良く理解してくれる友達と自分をよく愛してくれる女性がいる。毎日辛い仕事をしているが、よい友達と恋人に囲まれて幸せな方だと思う。しかし彼はかつては上流階級の者だったこともあり、自分はこんな所にいる人間ではない、もっと価値のある人間だとプライドを持っているのだと思う。だから、友達の思いやりのあるアドバイスに対してもお前とは生まれが違うと突き放し、自分をよく愛してくれる恋人にも、自分にはもっとマシな女がふさわしいと思っているのか愛することはない。

途中の渋滞の際に前方のトラックへの上に積んであったピアノを弾くシーンが印象的だった。彼は上手くピアノの弾いてみせるが、周りのクラクションの音で全てかき消されてしまう。自分の思いと環境が一致していないボビー状況を視覚化しているようだった。

実家に帰った際にも、そこで出会った女性キャサリンに色目を使われたと勘違いするのも、彼が自分には教養があり価値のある男だとプライドを捨てきれていないからだと思う。

かつては上流階級にいてピアノの才能があるのに下流階級で甘んじてる自分が不満で、それが故に友人や恋人を突き放してじうボビーが好きだったキャサリンに言われた、自分にも仕事にも愛を示さない人に愛を要求する権利はないと言う言葉は図星で心に強く刺さったと思う。

だから帰り道に自分はレイの愛にはふさわしくないと気づいたんだと思う。ガソリンスタンドのトイレで鏡で自分の姿を見るが、ここは正に彼が自分自身と向き合った瞬間だと思う。今までの自分自身を振り返り、全てを捨て新たしく人生スタートしようと決意したのだと思う。だから彼はトラックに乗り出発する、たとえ行き先が極寒だと知ってても。

本作、そしてアメリカンニューシネマの良い所は、綺麗じみたパッピーエンドが無いこと。主人公がもがき、そして苦しい現実を受け止めること。そこに散りゆく夢を前に現実を受け止める主人公の美しさがあると思う。
今作では、ボビーは良き友人と良き恋人がいるがその幸せに気づかない。でもそれでいいと思う。人間そんなに目の前の幸せに気づけるものではない。
島に帰り先が短い父と会い和解しようとするが結局出来ない。でも根本的に気持ちが通じないのだから仕方がない。人生そんな綺麗に行かない。
パッピーエンドや物事が上手くいく薄っぺらい映画ではなく、ありのままの現実を突きつけて、それに向き合う主人公を描く今作、そしてアメリカンニューシネマはやはり素晴らしいと思った。

ジャックニコルセンの演技も素晴らしく、個人的にとても見応えのある映画だった。
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