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ネクタイを締めた百姓一揆のnatsのレビュー・感想・評価

ネクタイを締めた百姓一揆(2017年製作の映画)
4.0
ある、地方の新幹線駅についての映画。来るはずの駅が来ないことになり、本来曲がらないはずの国の計画を、それを地元の人々がどうやって曲げて駅を誘致したのか。その争いの中で、誰がどう動き勝ったのか。あるいはどう敗者になったのか・・・という物語。

一見、流行りのプロによる味気ないご当地映画にも、地方の成功談礼賛にも見える。その上百姓一揆という今時見かけぬ泥臭い冠もある。未見の人へのハードルは高いに違いない。けれど、そのいずれにも該当しないこの今どきでないタイトルの映画は、思いのほかよくできていて、この監督には大作映画を作るセンスがあることを示している。

大作映画というものが、かつてあった。どこか行儀良くなってしまい、台詞とCGの量が増えてしまった、今のそれではなく、重鎮の役者があまた出演し、舞台もスケール大きく、展開も多彩。見たあと、良かれ悪しかれ満腹感を持って映画館を後にするたぐいの、往年の邦画の超大作である。本作の監督が、ローカリズム剥き出しの、この題材を依頼されて選んで目指したのは、そういう普遍的な大きさを観客に見せようとする作品世界だった。監督が置かれた制作環境から見れば、無謀と言う他はない。

だが、この題材なら、地方と自主制作のスケールのジレンマの中でありながらも、小さな枠に収まらない映画が作れると、監督はじめスタッフが本気でそう思ったようである。そうでなければ、スタッフもキャストも存在しない、制作体制ゼロ地点から始め、3年か4年かという長い時間をかけて制作を貫徹することもできず、地方の小さな自己満足の一瞬の打ち上げ花火で終わってしまっていただろう(また、実際にそうして消えてゆく映画の欠片のなんと多いことか)。手間をかけ育て続けられ、故郷から遠い場所のスクリーンにまでたどり着いて行ったこの映画の、その劇中の人々は、勝者も敗者も製作者全ての自画像のように映る。

畑で作物を育てるように、その土地で映画を作ろう。東京でもなく、自分たちは陽の当たる、華々しい業界にはいない。でも、この日々生きている場所に根付いていても、大きく面白い映画は作れる筈だと示して見せたい。そう言う思いがあったのだと思えば、タイトルに百姓一揆と冠し、監督本人は「(本名の)カズオ」ではなく「地べた」と名乗っていることに合点がゆく。この見かけの泥臭さは、意図を持って作られている。それは東京にも地方にも現在溢れる、中身の伴わぬ、空虚な、広告代理店的なスマートさよりは、よほどましなものだろう。


この映画の正体は、邦画やテレビがかつて得意としていた、多彩な層の役者を揃えた大規模映画の、地方文化による再生だった。演技経験の無い人々の、様々な(棒読みの人もいれば、驚くほどナチュラルな人もいる)演技を使い、演出の経験値と、地元のロケーション、インフラ、借景、人海戦術と、考えられる手段を使い、昭和史ドラマのいち断面を、全て具体的な場面で見せる再現を考え、そして実際に時間をかけてそれを撮り切っている。その意味で贅沢な作りであり、長さは感じない。一見の価値はある。


ローコストで作られるということは、その影に監督はじめ全ての関係者の無償の献身がある。今回の公開拡大で、それが報われて欲しいと思う。この国に恐らく多く眠っているであろう、監督氏同様に腕を秘めた、全ての映画作家たちが、各々の駅を建てる日のために。


2020/10/29 加筆訂正。
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