ay

マグノリアのayのレビュー・感想・評価

マグノリア(1999年製作の映画)
4.5
学生のときみてとても感動した記憶があってでもその理由は覚えてなかった。
最初は音楽でドラマを盛りたてる演出に時代を感じたし、今の視点からだとタイプキャスティングにも思えたけど、しばらくするうち深い洞察のセリフにひかれた。クイズ番組の人気司会者の娘クローディアが警官ジムとレストランで食事する場面で、そっか、クローディアは鏡に映った自分だったんだと気がついて、ぼろぼろ泣いた。過去に置いてきたはずの自分がそこにいた。

登場人物たちの、家族あるいは親しい人との関係は、もう耐えられないところまで内部に矛盾が溜まってる。過去の亡霊に囚われて屋台骨はグラグラ。なのに、それを認めようとしない。苦しい気持ちを誰かに気づいてほしい。閉塞を破る突拍子のないものへの強い期待が、「マグノリア」のなかで一番有名な、自分もここだけは忘れずにいた、人智を超えたどしゃぶりの雨を降らせてる。

この映画に出てくるのは、身近な関係に固執するあまりに、自分の幸せの理想を家族や恋人と結びつけすぎている人たち、といっていいかもしれない。こうありたい、という理想が必ずしもよい理想なわけじゃないのだけれど。幸せを自分に許してしまったら何かが奪われるという恐れが執着やブレーキとなって、破壊的な行動をとる人がいる。幸せについて考えなくて済むようわざと悲劇の中心に身を置いて、自分の心の変化を妨げる人もいる。にっちもさっちもいかなくなって、何かを保てなくなる、何か手放さなきゃいけなくなる。そんな状況を受けいれた先に、自分の苦しみを過去に置いてくるのか、過去を切り捨てずそのまま生きるのか。そのどっちかを選ぶとかじゃなくて、本人がなかなか気づけない心の深いところにあるような家族や恋人への理想が、過去とはまったく違ったレベルのものに置き換わる必要が、それぞれにあるんだろう。じゃあどうすればいいかの正解は、映画の結論と同じように、わからないのだけれど。

PTアンダーソンは、トム・クルーズ演じるカリスマ青年と父との関係に、自分自身の父との軋轢を投影してると知った。深い思索と勇気をもって、この作品の創作を、自分と他人の人生を理解する手だてにしたんだろうなと思った。
“愛があるのに、そのはけ口が見つからないんだ”
うまくことばにできてなかったぼんやりとしたあれこれが、ことばになって、刺さってみていてずっと痛かった。
ay

ay