らいち

ヤクザと家族 The Familyのらいちのレビュー・感想・評価

ヤクザと家族 The Family(2021年製作の映画)
4.0
「道を極める」を書いて「極道」。その語源は仏法の道を極めた人、という僧侶を称する言葉だったらしいが、江戸時代になって今の「ヤクザ」と同義な使われ方になったらしい。「極道」の漢字だけ見れば、本来の語源であるポジティブなイメージをもつのが自然にも思える。ちなみに本作では「極道」という言葉は全く出てこない。「ヤクザ」は「ヤクザ」であり、「反社」として社会から排除される対象だ。

但し、本作を見るとヤクザへの羨望を感じざるを得ない。その存在を肯定するのではなくて、彼らの組織にあった義理人情に焦点を当て、今では古臭いと投げ捨てられる人間と人間の繋がり、固い絆で結ばれた家族としての関係性を見つめる。組織のトップはその言葉通り親父(父親)なのだ。そう考えると、ヤクザのイメージがない舘ひろしのキャスティング意図が明確に映る。

1999年、2005年、2019年。3つの時代にあったヤクザの有り様。旺盛の時代であった1999年と2005年は既存のヤクザ映画から連想する世界そのもので、他者を威嚇し暴力をもってシノギを立て、豪勢な生活を送る。背中にはびっしり入れ墨。組織間の抗争も付き物で、そこに介在するのは仇討ちであり、暴力沙汰は普通の暮らしをしている人間からすれば傍迷惑な話だが、やはり任侠の美学が透ける。実際、物語の転換点となる事件の顛末は主人公の自己犠牲だったりする。

主人公が社会と断絶する2005年から2019年の間に、ヤクザの世界は大きく変わる。ヤクザでは食べていけなくなるのだ。ヤクザのレッテルは自分が想像していたよりもハードなもので、足を洗った者に対しても代償あるいは贖罪と言わんばかりの社会的制裁が課せられる。よく行くサウナ施設にいるおじさんを思い出す。背中の模様とは裏腹に、とても腰が低い人だ。あのおじさんも大変だったのかな。。。

経済的な問題もそうだが、暴力団に向けられる社会の視線も性質が異なってくる。害虫に留まらず、感染の危険性を孕んだ病原体のようなもの。その近くに存在を察知しようものなら、避けるのではなく無条件に排除される。SNSという現代に台頭した情報文化が、ヤクザの生きづらさに拍車をかける。SNSもまた暴力になりえる。

主人公はヤクザになりたかったのではない。家族として愛を育んだ居場所がヤクザだったということ。やはり、過去と現代に分けて描かれているのが何よりも大きく、副題の通り、時代の移ろいに翻弄された壮大な家族の物語が描かれる。本作をオリジナルで書き上げた監督の才能と、それを具現化させた製作陣に日本映画の希望を見る。「哀愁しんでれら」同様、こういう映画がもっと増えてほしい。綾野剛、北村有起哉、市原隼人など役者陣の献身的熱演も素晴らしかった。なかでも印象的だったのは磯村勇斗。「蒸し男」のイメージが強く親近感をもっている人だが、本作では物語のキーパーソンを美しく体現していた。ラストの彼の表情が本作を輝かせた。
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