ほのか

あのこは貴族のほのかのレビュー・感想・評価

あのこは貴族(2021年製作の映画)
4.4
貴方が住む東京を知らないままでは居られなかった。








レイヤーってあるやん、絵描く時とかに重ねていくやつ。彼女らのいう棲み分けってそれに似てる。確かにお互い意識的にあるいは無意識に踏み入れない場所はあるけど、街中で歩くシーンとか学校とかそういった場所はまさにレイヤーの重なりだった。同じ場所で過ごしてるのに見えない棲み分けがされている。話すことも触ることもできるけどどうあってもその壁をすり抜けることはできない。


華子ちゃんに「私それ聞いてないけど」が積み重なっていくの心が痛かった。君はそんなこと知らなくていいんだよ、そんなことは求めてないから、は優しさじゃない。彼女を見ているようで彼女の背景しか見ていないのがありありとわかってしまう。華子はそれでよかったはずだけど、家を離れていざ自分の足で立ってみて、箱の中で窮屈に過ごしている自分とは対極のところにいる人をみると自分だからできることを探してしまうよね。そこで割り切るか割り切らないかやったな、どっちがいいとかじゃなくて。ただ何のための結婚?とは思う。あのような家系のお家にとっての結婚は私のような平々凡々のドがつくほどの庶民にはわからないような意味や重みを持つんだろうけど、今の時代にそぐわない風習や考えまで引き継がなきゃいけないもの?としか………。

美紀ちゃんの言動でよく泣いた。私は彼女みたいに、こんなところで一生終えてたまるかー!みたいなエネルギーが湧かないまま地方で生き死ぬ人間だけど、憧れはあるんだなあって思い知ってしまった。
踏ん張るとかっていうよりも、そうやって生きていくって決めたから、って感じがした。だから頑張ることは当然。誰のためでもなく私のために。出自とかいうどうあっても覆らない現実を目の当たりにして、それでも折れず腐って自分を哀れんでいてても仕方ないと手持ちのカードで自分の人生を作っていく彼女はとても眩しかった。ベランダのシーンは特に華子視点から始まった展開だったから余計にね。
美紀ちゃんが言う、誰だってどんな人だって最高だと思う日もあれば泣きたくなる日もあるの台詞が本当に好きだ。美紀ちゃんと華子の境界線がようやく溶ける言葉だったと思う。妬んだり嫉んだりの地点をとうの昔に超えてしまった美紀ちゃんと、その片鱗に初めて触れた華子のガールミーツガールに心がぎゅ〜ってなる。もっと2人の話なのかと思ってたらそうでもなくて意外と2人のシーンは少なくあっさりと描かれててでもその分逢う意味が重い。特に華子にとっては人生のレールを放棄するきっかけになる出来事。もしかしたらこれ以降は美紀ちゃんと会わなかったかもしれないけどその選択はその選択で痺れるね。自分の中に出来た"美紀ちゃんがいる東京"という世界を崩さないように大切に守っていくようやん。会ってたらそれはそれで全然不思議じゃないよな、会うたび軌道修正がかかる感じ。

美紀ちゃんが幸一郎に「1番の友達だった」っていうのがちょっとだけへえ!?ってなった。意外っていうか、良いように使われてるだけだよって言いながらそれでも美紀ちゃんは幸一郎のことを1番の友達だっていうのが繋がりにくいなって…。お互いの性格とか相性とか出会いとか諸々あったんやろうけど。
相手は別世界に住む家の人。だけどそれをひけらかすわけでもそれで自分を釣ろうとするのでもなく、ただボロい中華屋に一緒に行って身体の関係をもって一緒にいて、違う世界に住む人ではあれどつまるところでは同じ人間だ、とそう思える人であってくれたのが嬉しかったんかな。"みんなが憧れる東京"で仕事をして憧れた東京とはほど遠い生活をする。彼との時間はその両方を併せ持つ時間だったのかも。その時間でバランスを取ってたんかもなあ。う〜ん、なんか上手いことまとまらへん。難しい。



お互いの立場や生まれ、育ち、今の環境への嫉妬からくる感情が全然なくて(あったとしても消化後のもの)、このお話のそこが本当に本当に本当に好きなところ。これまでのセオリー通りでいくとこんな立場で出会う女同士は歪み合うことが多い。だけどこの映画は男を挟んで出会った女の子がお互いに対立せず、お互いを自由にする物語。そんなん愛おしいすぎる。だいすき。シスターフッドの物語だけが救える私が居る。