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スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバースのmarimoのレビュー・感想・評価

4.7
とりあえず「日本語吹替版」がお勧めだと思います
(とは言っても、字幕版の方は観ていないんで…あくまで片側だけの意見として)

前作スパイダーバースの時は
IMAX一択じゃい!の思想のもと字幕版での鑑賞だったのですが

なんだか、そこまでノリ切れなかったんですよね…
その後、配信で吹替版を観たところ、あれ、こんなに面白かったっけ?
そんな感じ

おそらく
このシリーズは情報量が多すぎて、視覚のリソース配分は映像を追うだけで精一杯なんです

そこに字幕を読むことに視覚のリソースを割り振ってしまうと
映像から得られる情報量が激減してしまう
(と、そんな勝手な仮説を立ててます)

ということで
今回は字幕版のみのIMAXはスルーして(IMAXでも吹替版やってよ…)
チネチッタのLIVE ZOUND 日本語吹替版での鑑賞です
(本作はIMAX画角ではないので、音響が良いところであれば通常の劇場でも良いかと思います)

と鑑賞に向けての前置きが長くなってしまいましたが…

もうね…めちゃくちゃ面白かった!!!

とにかくスパイダーマン”たち”がアクションの中でもすごく喋るんです
なので、日本語吹替版で観ないと大変です
字幕を読んでると、映像の気持ち良さを全部摂取できません

それでも吹替版はちょっと…って、分かります

大丈夫なんです、ご安心下さい
日本語吹替版の声優さんめっちゃ豪華です
アニメーション作品なので吹替版での違和感はないと思います

もちろん映像の気持ち良さは前作以上ですし、
マルチバースという題材における完成形なのでは?
というぐらいストーリー展開が素晴らしい

あくまで続編ではありますし
次回作との連作でもあるので言うなれば三部作のど真ん中

実際、途中で話終わっちゃうんですけど…いや、めちゃくちゃ良いのよ

1作目がぶっちゃけただのプロローグでしか無かったんだなというぐらい贅沢なまでの物語の広がり

ただ、そのプロローグを経てではなければ語れない物語
マルチバースを題材にした続編として、今後のお手本にされる完璧な構成なのでは…これ

今までのマルチバース作品って
色々な次元から合流する何でもありのワクワク感だったり
あとはファンが喜ぶサプライズ演出だったり

この要素を見せ方を変えたりすることで試行錯誤してたと思うんですよね
(前作のスパイダーバースも同様)

では本作は何が違うのか?

何でもありなはずのマルチバースに色々な制約を組み込んでいるところ…これで深みが増す

まずは前作のラストをもって、それぞれのバースに戻り、別のバースへの行き来は基本的には出来ないという制約
また仮に別のバースに行けたとしても、存在を維持する事ができない制約(これは前作でも描かれていたやつ)

これにより、グウェンとマイルスは、どれだけお互いの存在を求めたとしても決して一緒になる事はできない
これはマルチバースが題材でなければ生み出せない関係性
2人の障壁になるものは、家族や恋敵などではなく”次元”という計り知れない壁

さらにバースの均衡を崩すことは次元そのものが消滅してしまうという運命を変えることすら許されない大きな力

2人の間に大きな制約があるからこそ
グウェンとマイルスのなにげない会話ですら、強烈な儚さが生まれてしまう
シーンが美しければ美しいほど
会話が普通であれば普通であるほど
そこに切なさが強く共存する、今まで経験したことのない感情にもっていかれる

マルチバースなんて正直サプライズ以上の事は出来ないだろ?とマルチバース作品に疑問をもっていた自分に反省です
マルチバースでなければ描けない感情が本作にありました

バックトゥーザ・フューチャーがタイムトラベル作品としての面白さの基準を定義してくれたように
スパイダーバースはマルチバース作品としての面白さの基準を定義してくれたんです

だって、たくさんのスパイダーマンが出てくる楽しさ以上にグウェンとマイルスの2人のドラマの続きが知りたいんだもん
マルチバースだからこそ生まれる2人の関係性の先が気になって仕方ないんだよ

もうこの感情にもっていってくれただけで大傑作なんです



(ここからめっちゃネタバレあります)




さらに抜かりはなくヴィランの設定も秀逸です
マルチバースが舞台だとヴィランの設定が難しいと思います

もちろん歴代のヴィランが集合も良いんですよ、テンション上がるし

ただ本作の”スポット”はまさにマルチバースにおける最高の相性のヴィランではないかと

次元を超える能力はもちろんマルチバースなのですが…
生まれるきっかけも、力を求める目的の全てがマイルスと絡み合っていて
このマイルス自身も力を手に入れるきっかけがこの”スポット”の実験の結果に起因しているという
で、その実験がマルチバース実験っていうね

なにこの完璧な表裏一体の構成

本作は3部作の真ん中なので、物語は途中で終わってしまいます
たが、そんなモヤモヤなんて、展開の面白さが突き抜けすぎているので些細なことなんです

むしろ、この余韻を噛み締めながら次回作を妄想するための時間をくれたと感謝すべき

伏線の絡め方が完璧すぎてちょっと頭おかしくなります

色々なスパイダーマンが画面狭しと動き回る、純粋なマルチバース作品として面白さはもちろん満たされた上で

色々なバースからスパイダーマンが集まる”スパイダー・ソサエティ”
そこではバースを超えてしまったヴィランを、遺伝子から元のバースを特定してそこに送り返す装置など
なるほど、面白い設定だなって軽く見てたらめっちゃ重要だったやつ
(まさか、これが後々、2段階ぐらい伏線で使われるとはね)

物語としてはマルチバースが故の運命論が絡み
それを、受け入れ維持するために動くものと、否定し新たな運命を切り開こうとするもの
まあ、衝突するよね

スパイダーマンとしての運命をカノンイベントと呼び
それを守るべき正史として管理する

ここで重要なのが
”大切な人の死”
”身近な警察署長の死”
それがスパイダーマンに起こる運命(カノンイベント)として定められている
(恐竜スパイディにおける身近な警察署長って誰?とか細かいツッコミはダメ)

単純にスパイダーマンの1人がその運命を否定するだけであれば、ありきたりなのだが
この運命を壊そうとするのが、マイルスだということ
彼は、本来はスパイダーマンに選ばれるはずでは無かった存在だということ

マイルスを刺したクモは、マイルスのバース(アース1610)の存在ではなく、別のバース(アース42)に存在するクモで、これをスポット(ヴィランになる前)が実験で連れてきてその結果マイルスはスパイダーマンになってしまう
これは後付けではなく、前作スパイダーバースでも描かれていること

この設定により
運命から外れた存在のマイルスが、新たな運命を切り開く特別な存在になるのか
もしくは運命に飲み込まれてしまうのか

…と、そんな激アツな展開につながっていくのである
お見事です

運命を変えようとするマイルスとそれを防ごうとする”スパイダー・ソサエティ”代表のミゲル

でも、腕輪の無いマイルスはどうやって戻るんだろう?

…あっ、そのマシンがあったか!という激アツ展開(もう、ずっと激アツ展開の連続で大変)

さらに、
そこからのグウェンの展開も最高で、お父さんとの関係に泣かされ、さらに海賊版のアレに歓喜する(あーあいつならそれ作ってそう!っていう納得感の強い激アツ展開)

さらに、マイルス…なんかそこの様子おかしくない?
あーーーそういうことか、そうじゃん別のバースだもん、遺伝情報そっちか!!! ってそこも伏線だったのかで興奮!!!

ってことは、そこにもマイルスいるんじゃん?
あーーーー、そりゃ、いるし、そうなってるよね!!!!(激アツ展開やめて、助けて)

あーーー楽しい

マイルスが元のバースに戻ってないことに気づいたグウェンの行き先は?
まあそうだよな、そこだよな(激アツ展開でずっと過呼吸)

あーーーーー楽しい

あーーーなんか、みんな揃ってる!!!!お久しぶりです!!(ちょっとメンバー増えてるし!!)

あーーーーーやばい楽しすぎる

クライマックスに怒涛のクリフハンガーを大量投下されて、でもこの後1年間おあずけ確定なんだよなって覚悟して
でも何だろうこの計り知れない満足感

なんかこの感じ
バックトゥザ・フューチャーpart2のラストのワクワク感に似てるのよ
(ドクのデロリアンが雷で消えて からの手紙届いて からの1の過去のドクに会いにいって気絶 to be continuedって怒涛のやつ)

あーーーーーもう最高だったよ
(早く1年後来てくれ!!)

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▼劇場
 チネチッタ
 CINE8
▼作品名
 岩浪美和音響監督監修 【マルチバースサウンドLZ】 吹替 スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース
▼日時
 2023/6/16(金)
 20:35~23:05
▼座席番号
 J-17
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