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T-34 レジェンド・オブ・ウォー 最強ディレクターズ・カット版のKRKのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

公開版は113分なので、かなり増量されている。前回初めて観たときからは1年近く経っているので、どこが増えたかわかるだろうかと不安だったけど、見覚えのないカットというのは、案外それとわかるものだ。イェーガーとイヴシュキンの関係性には初見のときから萌えをかきたてられて大変だったが、追加カットではイェーガーがイヴシュキンに心をゆるしたような笑顔を見せるシーンが入っていて、思わず叫んでしまった。

好悪で言ったら、生きてきたなかでも片手の指に入るほど好きな映画だ。たった1度観ただけなのに、それから1年、イェーガーの眼光の鋭さを何度も思い返していた。それほどに心を奪われたのだ。そんな映画はそう出会えるものではない。

同性愛に対する差別の根強いロシアで、ここまで描ける作品が存在しうるのかと思わず感嘆するほどに、イェーガーのイヴシュキンに対する執着には性愛めいたものが含まれるように思える。ホモフォビックであること、女を勝ち取る商品として扱うこと。このふたつがホモソーシャルの特徴だ。事実、追加カットではイェーガーがアーニャに求婚するエピソードが追加されていた。求婚の動機はあきらかに、アーニャと相思相愛のイヴシュキンから彼女を奪うことで、イェーガー自身がイヴシュキンよりも優位に立ちたいというところにあるのだろうから、お手本のようなホモソーシャルである。ところが、そのホモソーシャルの純度をかぎりなく煮つめた先に、本来は彼らにとって拒否の対象となるはずだったホモセクシュアルな欲望に結果的に寄ってしまうというところまで、この映画はかなり意図的に見せていると思う。そういうある種の「危うさ」とでもいうか、本来望んでいないはずのものに引き寄せられてしまう、人間の中に存在する撞着が垣間見えるのが好きだ。くわえて、出会い方が違えば親友になれたかもしれないはずの男たちが、おたがいにしか通じ合えないものを持ちながら、それでも憎んで執着して殺し合うという構造にも、たまらなく萌えてしまう。ただ、この物語が実在する殺戮のうえに成り立つことを、どうやって受け止めればいいのかわからない。この作品を好きで惹かれてしまうことに、おおげさでなく消えてしまいたいくらいの罪悪感がある。

去年観たのはウクライナ侵攻がはじまって半年ほどの頃だった。ロシアの国威高揚のプロパガンダ的側面のつよい作品であるだけに、自分がこの映画に惹かれることが、どこかウクライナへの侵略を肯定することにもなるのではないかと思って、当時も苦しかったのだが、2度目の今回は、そのうしろめたさが薄れていて、そのことにぞっとした。慣れてしまっている。

好きだと思うべきじゃない、言うべきじゃない。だけど、好きじゃないことにしてしまったら、自分の加害性も存在しないことになってしまう。認めること、自分の内側にゆるされざる感情があると知ることからしか反省ははじまらない、と思うからこうして言葉におこす。私はロシアのウクライナ侵攻に当然反対だし、ナショナリズムを拒絶する。この映画の存在を賞賛できない。戦車や殺戮が物語のなかだけで存在する世界を望む。この映画が好きだからこそ、そこも一緒に残していかないといけないと、強く自戒する。
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