長谷川コウ

私をくいとめての長谷川コウのネタバレレビュー・内容・結末

私をくいとめて(2020年製作の映画)
1.0

このレビューはネタバレを含みます

綿谷りさ原作。
公開前に原作は読んでいました。

10月頃に映画のポスターをみて、これは面白そうだと思い、その足で文庫本を買いました。

小説は
序盤まわりくどくて長い描写が多くて、んーという感じで、途中数週間空きながらもら中盤以降、特に皐月の元に行くくだりからは読み応えがあり、結果的には面白い作品でした。

そして映画を観て、胸が騒ぎました。

全くもって酷い内容でした。

これは原作を知ってる知らないの違いもあるのかもしれません。

なぜなら今作で監督を務めた大九明子さん
は、前回、同じく綿谷りさ原作の「勝手にふるえてろ」で監督をしており、原作未読で観た自分としては、それはめちゃくちゃ面白かったからです。

もしかすると、今作の映像化は、原作の綿谷りささん的には原作のイメージ通りなのかもしれません。

しかし、自分的には、もう大九さんの実写作品は観たくないと思うほど、原作へのリスペクトが微塵も感じられませんでした。
のんさんやその他有名な俳優陣でこんな映画を撮るために原作を利用したようにすらみえました。


まず、主人公のみつ子は、おひとりさまを堪能しているわけではないはずです。色んな面倒な事を避けて楽な道を選んだ結果、俗にいうおひとりさまになっているわけで、進んで1人で観光地行ったりしてるわけじゃないと思うんです。
おひとりさまの象徴として1人焼肉を出してくるあたりも気持ち悪い。

そしてAとの会話ですが、みつ子にとってAは自分であり、いて当たり前な存在なのです。今更人前で大声出してしまうようなミスをみつ子は絶対しません。あんな、自分にしか見えない妖精だか幽霊がいるみたいな陳腐な演出には本当に反吐が出ました。

これはあくまでイメージですが、みつ子とAの会話というのは、日記を書くようなものです。心の中で会話しているんです。映像として、わかりやすくしたかったのでしょうが、Aとの会話で、みつ子があんなに感情を表に出すことは、例え1人部屋にいる空間でも滅多にしません。
原作では飛行機のシーンと、製氷機のシーンのみのはず。
心は色んな感情が渦巻いても、表面上はあくまで淡々と会話しているんです。
そういうやりとりだから、読者はみつ子に共感するんです。ここがこの作品の軸なんです。
映画のように妖精との会話にしてしまうなんて、信じられません。

原作のちょっとしたシーンをすごく広げたり、重要なシーンをあえて抑えたりも映画ではしています。

が、

これが全部不正解を叩き出しています。

1人で温泉街に旅行に行くシーン。
原作では、海外に行くための予行演習に過ぎません。
もちろんお笑いライブなどありません。
奇跡的にタイムリーな吉住さんが出られてて、お笑いライブは別にいれたければいれていいんですが、
セクハラにあうシーンは一体何をどうしたかったんですか?必要性を感じない。

下の階から楽器が聴こえてくるのも、伏線なんでしょうが、全くいらない。

片桐はいりもいらない。

中盤は、尺を稼ぎたいのか、のんさんの演技を見せたいのか、意味のないシーンのオンパレードで、完全にノックアウト寸前です。

後半、皐月に逢いに海外に行きます。
本来ならここからが重要なシーンです。
みつ子の新しい一面が現れ、気持ちも切り替わり、クスッとするシーンも満載です。

飛行機が揺れて怖がる場面。
原作では、みつ子と、周りの怖がり方の対比が描かれていますが、それも台無し。
Aも、音楽を聴けと促しますが、言葉は強いけど、あくまで冷静なんではないだろうか。細かいけど、通路の意味も変わってます。原作では揺れを回避するために歩くのに、映画では通路を歩くから揺れを感じています。
大瀧詠一の「君は天然色」を聴いた時の演出も、ちょっと理解出来ません。まああの曲を推したかったのでしょう。
みつ子は、曲を聴いたところで、最後まで怖がっていたんです。その描写が、小説ではとても見事で、ユーモアに溢れていたのですが、、、。

一番酷かったのが、皐月の人物像です。
感情の起伏が少なく、俯瞰した見方ができる。それがみつ子と共通している部分で、心地よさなんです。
イタリアの地に完全に馴染んでいるんです。今更、太陽浴びて気持ち良くなったり、寂しくて泣いたりしないのです。
そりゃあ実際の女性だったら女々しい部分はあるでしょうが、いくらなんでも原作から人物像を変え過ぎです。
そこまでする理由が理解出来ません。
イタリアでの出来事が、日本では平凡だったみつ子の気持ちを前向きにします。
それプラス、離れていた分、多田くんと会いたくなるんです。
しかし映画では寧ろ、イタリアにいる時の方がみつ子は暗くなっているようです。
多田くんとのラインのやり取りも意味不明です。
本来ならそこでのやり取り以降は、この話はハッピーエンドで、進んで行くのに、日本に帰ってきたみつ子はめちゃくちゃネガティブ。

変な妄想を、始めます。は?です。

結局多田くんの誘い待ちで、誘いが来たら有頂天。
だったらイタリアのくだりはなんだったんですか?

カーターとノゾミさんとのダブルデートに東京タワーへ行きます。
原作ではディズニーランドです。ディズニーでのロケが無理だとしても、遊園地ならどこでもいいのに。
カーターは、東京タワーの階段を登るだけの、ただしんどいことするような人じゃないよ?
そして、ノゾミさんの献身的なケアに、
すげぇ、、と声を漏らします。
違う違う。カーターは常に人を見下してるんです。そんなことされて当然だと思っているんです。

ホテルのシーン。
これに関しては、実写表現難しいだろうなと理解出来るので、他の同じく酷かったですが、口をつぐみます。
Aの擬人化を原作に従ってイケメンにしなかったのは、寧ろ評価出来るかもしれない。

でも多田くんと付き合ったことで、Aが多田君になったのは、違うんじゃなかろか。

Aはいつまでもみつ子なんです。

書き疲れました。
とにかく自分の中の原作のイメージをぶち壊されました。
綿谷さんのイメージには合ってたのだろうか。
だとしても解せぬ。

原作から映画見る場合、映画の方が面白いって事は少ないですが、今回は特に酷かった。

評価は0.8です。
長谷川コウ

長谷川コウ