映画館鑑賞。
なぜ、次男は死んでしまったのか?
わからない兄弟、親戚。
死んでしまった彼しか分からない。
とはいえ、心にたまった何かを誰にも吐き出せず、わかってもらえなかったのは確か。
死んでしまったものは、あとから気が付いてもどうにもできない。
残された者はただ前を向いて歩いて行くだけ。
この映画を観たかったのは、名古屋の熱田神宮の近くに母の実家があり、よく行ったということもあった。
あ、この場所、知ってる、ここも。
今は、もう違うだろうけれど、こんな街並みだったなあ。
もうなくなってしまったその家を思い出しながら観た。
毎回、思うのだけれど、今風の名古屋弁で話さないなら、名古屋弁で話すのはやめてほしい。
若い人には無理がある。
亡くなってしまった2人は、雰囲気が残っていてよかった。
熱田まつりは例年6月初旬で夏祭りの始まりのほう。
先行上映だたのはそのせいかな?