リッジスカイウォーカー

ノマドランドのリッジスカイウォーカーのレビュー・感想・評価

ノマドランド(2020年製作の映画)
4.0
ノマドランド。

一体地球ではこのような生活をしている人たちがどれくらいいるのだろう。

働いていた工場が閉鎖され、住むところがなくなった。

ヴァンでの生活を余儀なくされ、その時その時の仕事にありつきながら生活をしていくノマド。

多くは高齢者でその働き口も少ない。


これは誰にでも起こりうる話で目が離せなかった。
(特にAmazonの倉庫での仕事が出てくるので、どうがんばってもこれは現実という事実を叩きつけてくる)


いつ何時今の仕事がなくなって、その日暮らしをすることになるかもしれないと思うと、言い知れない不安に駆られる。


映画を観るまではどうしてもそういう暮らしをしなければならない人たちなのかと思っていたが、その暮らしを脱する機会というのはちょいちょい訪れていた。

頼れる姉妹や知り合いがいないわけではない。


しかし、その助け舟に乗ろうとはしなかった。
なぜなのだろう。


その答えはしっかりとラストに残されていました。


人生の歩みの中で刻まれた思い出。
郷愁の想いと言うべきか。
捨てることのできない自分自身が、別の人生への扉を開くことを心理的に拒んでいる。

それは自分だけがそこから逃れてもいいのだろうか?とか。
この先、手を差し伸べてくれた人たちの迷惑になるんじゃないか?とか。
きっと様々な感情が揺れ動いた末でのアクションなのだろう。

自分らしさとは何か?人間らしさとは何か?という問いへの行動でもあるかもしれない。


人は豊かになるために資本主義経済というものを作り上げた。
そのはずだ。

しかし現在はどうか。

かつてない格差が生じ、持つものと持たざるものの分断が発生している。

利益を追い求めることは、その反動で格差を生むことが歴然と証明されてしまった。


このマネーゲームからすり落ちてしまった人たちは、自力で這い上がることは根底から難しい社会となっている。


ノマドはそういったことへの大きな反動なのかもしれない。

人と向き合うことに「疲れ」てしまっているのかもしれない。

生きることに精一杯であれば、生きる以外に他の事を考えなくてもよくなるし、生死の境目であれば人は誰にでも優しくなれるから。


序盤のセリフの中で、誰かの歌詞に「心の中に家(ホーム)がある」。これは素晴らしいというのがあったが、これが全てを物語っている感じがする。


幾多の選択肢の中で選んだホームだから、ノマドという生き方を受け入れている。


経済的に豊かだから心も豊かである。
ということではない。


ノマドの生き方がそれを示しているように受け取れた。


資本主義社会の中では何かの成果を追い求められる。
金銭的に裕福なら多くの人から羨ましがられるから、人間としての勝ち組なのだと。なぜか刷り込まれている。

本当にそうなのだろうか。


大切なのは、この歪みに対してのセーフティネットがあるかどうかではないかと思う。


すり落ちてしまったら、その人生を受け入れて生きていくしかないなんて、悲しいよ。