なつミン

ザ・フラッシュのなつミンのネタバレレビュー・内容・結末

ザ・フラッシュ(2023年製作の映画)
4.4

このレビューはネタバレを含みます

最近作スパイダーマン(NWH)のストーリーにおけるマルチバースは、「俺がヒーローだったばっかりに、友達が不利益を受けている」の類の自己憐憫的(俺ってかわいそう)な妄想から引き出されるに過ぎない。ヒーローという役割から遡行される自己イメージの反復を、自らの内に課しているだけである。
一方今作では、「ママが恋しい」という幼稚でありながら、それでも”愛”を求めるが故の、刹那的な欲望(スピード!)から別世界の窓が開く。こちらの動機は自己イメージを回復したいからではなく、相手からの承認を欲するという、むしろ関係においての問題系に根ざしている。


前者は観客のヒーロー願望(ヒーローってこうでなきゃ)に訴求し得たが、関係の上に育まれた”この私”がすっぽり抜け落ちて、観客のヒロイックな感情を「私」抜きで煽る。
一方後者は”この私”がヒーローに成ったのであって、その逆ではないことを、最初から”スーパー”なわけではないことを、説得的に示す。もし生まれながらに超人(地球外生命体)であったら、劇中のスーパーウーマンの様に、人類の味方になる意味が希薄化してしまう(それでも味方になるのだが)。なぜなら彼女の”この私”性に、人間が入り込む余地が殆どないからである。そうでなくとも人間は彼女に非道い仕打ちをしている。


”この私”が家族や友人や恋人と共に、”この世界”で育まれた主体であることを抜きにして、平和を護る戦いに赴くのは想像し難い。しかし逆に、“この母”と引き換えに、複数の世界群(マルチバース)の対称性を取り戻すことは、その動機自体を脅かす、倫理的な壁である(様に見える)。”この”ヒーローは、各種”この”が乱立した世界群において、その非対称性において、超越論的審級を迫られている。ここで主人公が気づくのは、”この”世界が寄せ集まって「あの」性をつくり出しているということである。”この”性を持った主体だけが「あの」性を保存する動機を持つ。しかも「あの」性が壊れれば、”この”世界群も塵と化す。「あの」性はむしろ状態のことを指し、不気味さが漂っているのみである。

”この”・「あの」性をめぐる問題系こそが、今作のストーリー上重要なポイントになっていることは言うまでもない。ヒーロー(何者か)に求める”この”性とは、人間性のことであり、個有性のことでもある。

人々が(リベラルな体現者としての)ヒーローに”この”性を求めなくなっても(そんなことはあり得ないが)、ヒーロー(だれか)は”この”世界も、そして言わずもがな「あの」性も護ろうとしないだろう。
なつミン

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