青雨

シングルマンの青雨のレビュー・感想・評価

シングルマン(2009年製作の映画)
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この作品によく表れている、トム・フォードの端正な指先。

ファッションについては暗いため分からないものの、この人のデザインは新機軸を打ち出すようなエキセントリックなものではなく、素材とフォルムと仕上げのバランスに注力した質感に、その魅力があるのではないかと思いながら観た。

タイトルの「A SINGLE MAN」には、ゲイであるがゆえに抱える疎外感と、最愛のパートナーを失ったことの2重の意味での「SINGLE」。また、「The」ではなく「A」となっていることから、その孤独の有りようは、いたって普通の風景であるというニュアンスが僕には感じられた。

色彩、テンポ、ファッション、小道具、構図、音楽の使い方などにとても端正な印象があり、初見の際に観終わって調べてみると、ファッションデザイナーが監督したことを知って妙に納得。またテーマとしての普遍性というよりも、作り手の「姿勢」こそが、凡庸であろうとしているように感じられて不思議な感覚もした。

そうした意味では、パートナーを失った1人の男が人生に絶望した1日を追うなかで、心理的な変化を映像の彩度で表現しながら、そこにある種の普遍性が云々といった受けとり方は、もしかすると落ちてしまいがちな罠のようにも思った。その程度の映像の強度ならば、たぶん他の表現の強度に、肩を並べることさえできない。

この映画を支える1点があるなら、映像、ストーリー、音楽、芝居などの総合表現としての映画を、それら構成要素の1つ1つにわたって端正に(縫製するように)作りあげることで、あるクオリティに到達させた、その非凡な凡庸さだったように僕には思える。

誰かに出会ったときの印象は、交際を深めていくなかで様々に揺れ動くものの、最終的には第一印象の通りだったということは、よくあることのように思う。僕の場合は、その直感を信じているというよりも、第一印象を裏切って欲しいという期待が、裏切られてきた集積によって形作られてきたところがある。

そのため、ほとんど追認するように、時間が逆進していく感覚のなかに僕は生きているかもしれない。そして、もしかするとトム・フォードもそうなのかもしれないと(これは間違いなく妄想として)思ったりもする。しかし妄想とはいえ、次作『ノクターナル・アニマル』には、この感覚がはっきりと表れていた気がする。
青雨

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