あ

女は女であるのあのレビュー・感想・評価

女は女である(1961年製作の映画)
5.0
かけるに便乗して
疲れたので本当に途中までの文章と共に寝る。時間ある時に書き換えまする。

喜劇か悲劇か、そこに焦点を当てて見ていた者としてやはりゴダールに最後の最後で肩透かしを喰らわされる。と共に、エミールが「喜劇か悲劇かわからなくなった」とカメラに向かって話す時、この映画は稀有な存在だと改めて確信させられた。
ストーリーだけ追えばただの不倫劇でしかないこの話、手放しに難解だと言いきるのはいささか勿体無い気もする。
この映画をミュージカル映画として収斂させない所以はやはり、奇怪な、そして愉快な音楽とアンナカリーナ(アンジェラ)の魅力だろう。音楽に関しては無知を晒さないよう割愛。ただアンジェラがChanson D'Angelaをストリップ箱で歌うシークエンスはこの映画のハイライトだ。
そしてこの映画におけるアンナカリーナの魅力とは具体的に「顔」と「服装」そしてチャーミングな「仕草」だろう。

顔と服から。まず、科学的な精密さによって妊娠可能な日を知らせる機械から、11月10日、当日がその日だと知らされる。ただランジェリに着替えて夫を誘うものの二人が寝ることはない。次の日になり同じ格好でシャワーを浴びようとするアンジェラのまぶたは昨日と同じく綺麗な青色のままだ。この映画を通してアンジェラの顔は一貫して、不自然なまでに驚くほど美しい(可愛い😍)。時には涙さえ流すのにも関わらず!(ゴダールの悪癖といえなくもないが…)

そして服装に関してはいえばアンジェラは常に赤か青の服を着ている。
個人的にとても好きなシーンとアルフレッドをマンションに呼び出し来るまでの間、カメラは二人とドアをパンする。アンジェラは赤のセーター、エミールは青のスーツ、そしてカメラが動いた後に映し出されるドアの色は緑一色だ。そのシーンを見た時にこれが映画が持つ力であることを(たとえ無意識だとしても)誰もが思い知るだろう。
他にもコートを着ているエミールの腕には青と赤のワッペンが、浴室には赤と緑のライトが点滅し、映画の終わりを告げるネオンのの文字は鮮やかな緑だ。ゴダールが好んで使う色による暗示はトリコロール以外に読み取ることができず悔しいが視覚的にも非常に楽しめる。ベルモンドが茶色なのは中間色といったところか。
少し脱線したがなんといっても


ル・シネマでは明日までだと知って絶望。叶うならいつかスクリーンでもう一度見てみたいと思うと共に、パリ〜は見られる希望が見えている中でこの文章を打つ。
その反面、やはりどうしたって、ゴダールを同時代的にみることが叶わぬ若者の一人だと痛感させられる次第だ。
あ