えふい

オールドのえふいのレビュー・感想・評価

オールド(2021年製作の映画)
4.2
ある作品が多大なるネームバリューを獲得し、それが産みの親自身のいうなれば魂めいたものすべてを物語るかのように人々に錯覚されてしまうのは、間違いなく「成功者」の証であると同時に作家としての彼・彼女らに解きほぐしがたい楔となって纏わりつく烙印でもあるのだと痛感させられる。
私自身例外ではなく、M・ナイト・シャマランの映画といえばその「ドンデン返し」があまりに人口に膾炙したがためそこに至るまでの脚本構成や映像美についてまるで皆無のごとく語られがちな『シックス・センス』以来であり、それとて「衝撃の結末」と喧伝されがちなクライマックスをおぼろげに記憶している程度なのだ。しかしもし私が映画に対して比較的無垢なまま、例えば週末にデートで適当な作品を選別するぐらいの──これはあくまで例示であり、現実の私が誰か異性あるいは同性を連れ添って映画館を訪れているのか否かは各々のご想像に委ねる──気軽さで本作を観賞していたなら、ランチの際に終盤のいささか擁護しがたい展開をくさして和やかなムードを醸成するのに利用していたかもしれないが、そうではない現在、表現の一種として映画と対峙する立場を選んだからこそ「ドンデン返し」の出来具合だけにとらわれることなく、不条理劇としての悲喜こもごもやそこに潜む死生観・人生哲学に思いを巡らせる余裕があったのは、帯同者の有無のみが必ずしも約二千円分の価値を担保してくれるわけではないことの証左だろう。
さて、私はなにもいまさら「ひとり〇〇」のメリットを主張してカップルや家族連れに対して優位性を誇示したいわけではなく、また自分はより正しく作品を理解できているのだなどと自画自賛したいわけでもない。むしろお仕着せの「正しい見方」から距離を置くこと、世間で醸成された作家性や評判からシャットアウトされたシアターで映画と真正面から向き合う時間の贅沢さを、まさに本作が体験させてくれたことに謝辞を述べたいと思ったまでだ。
すなわちある人物が「撮ること」をやめた瞬間からの展開、「衝撃の真実」に至るまでのどうにも肯定的には語りがたい展開はある種のファンサービスであり、その人がカメラで切り取りたかったもの、われわれに見せたかったものはすでに撮り終えたのだと、ワンアイデアのみの作家ではないのだと静かに叫んでいるように私には感じられた。
およそニ時間映画体験を経てなお、非生産的な饒舌に戯れる時間的余裕があることの贅沢さをいまひとたび噛みしめつつ、相対的には正確なままの一日=二十四時間がまた過ぎていった。
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