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川っぺりムコリッタのzizoubudのレビュー・感想・評価

川っぺりムコリッタ(2021年製作の映画)
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 本作は、人と人のつながりが希薄な社会で、人はどうやって幸せを感じることができるのかという、根本に立ち返って実感することができる温かい物語です。
 生きることの楽しさが、荻上監督が得意とする食や美術、会話を通して表現され、きっと観る者たちに幸せの意味を問かけてくることでしょう。荻上ワールドおなじみの「おいしい食」と共にある、「ささやかなシアワセ」の瞬間をユーモアいっぱいに描く、誰かとご飯を食べたくなる作品となりました。
 試写会に登壇した荻上監督は、「食べる」という生きることに繋がる行為とともに、「弔い」という死と向き合う行為も描かれる。生と死は生活の中に当たり前に存在しているということを描きたかったと話されました。「おいしい食」とは「死」に対する「生」として描いてきたそうなのです。
 「カモメ食堂」からずっと「おいしい食」の裏側には、そんな死生観を監督が持ち続けてきたことには驚きました。だからこそ、刹那として生きている間の繰り返すごはんは、たとえ白米とみそ汁とイカの塩辛だけの質素なものであっても、至高の幸せな時間として本作では描かれているわけです。
 
 詐欺に関わり逮捕されて出所したばかりの山田は、できるだけ人と関わらず生きたいと思っていました。しかし図々しくて、落ちこぼれで、人間らしいアパートの住人たちに囲まれ、山田は少しずつ「ささやかなシアワセ」に気づいていきます。
 
 ひとりぼっちだった世界で、生と死の狭間を明るく生きる住人たちと出会い、友達でも家族でもない人たちと接するうちに、孤独だった人間が、孤独ではなくなっていく様相を、松山ケンイチが静かな演技で演じきるところは素晴らしいです。山田が自分が生きていていいんだと安堵し嗚咽するシーンでは、思わずもらい泣きしました。加えて、お金が底を着いて数日間絶食するシーンでは、松山は実際に絶食したそうです。どうりで島田が差し出すキュウリを上手そうにかじるところは真に迫っていました。あれは演技ではなかったのですね。
 そして図々しい人間を演じさせたら天下無双のムロツヨシ!でも単なるいやなヤツなら簡単なのに、次第に島田が心の温かいいいやつに見えていくのは、ムロツヨシならではの絶妙な演技だからこそなのでしょう。

 ところで本作では原作と比べてこの世的な「ささやかなシアワセ」に重点が置かれていて、原作で強調されている「あっち側とこっち側の境目」の描写ははっきり描かれなくなりました。川っぺりというのも川のほとりのブルーシートの小屋に住むホームレスたち生死の境目のことだったのです。それが冒頭の「川が氾濫すれば…」の言葉につながっているわけですが、本作ではホームレスの存在が希薄になってしまいました。
 また本作では、随所に死んだらどうなるのか?投げかけるシーンが散りばめられています。特に劇中の葬儀シーンは傑作で、ひと目みれば、黒澤監督の『夢』第8話「水車のある村」からパクっていることは明白です。 あくまでリスペクトとして、パクリを認めた荻上監督です。そこまで描きたいのなら次回作ではもっとズバリ死んだらどうなるかという直球勝負をしてほしいと思いました。仏教をかじっているものとしては、何とももどかしい刹那の描き方なのです。
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