にわゆ

マッドマックス:フュリオサのにわゆのレビュー・感想・評価

5.0
久々の5.0評価。
フュリオサの壮絶な人生と示唆に富む登場人物たちの物語は骨太で見応え満点であった。
アクションも全体的にクオリティが高く、クレーンを使った戦い、バイク×パラシュートの空中戦が新鮮で面白かった。
…最も、最近の映画はこれぐらいのクオリティがぽんぽん出してくる。末恐ろしい。(これにも慣れて、将来チープ化してるのだろうか?)
一番印象的なシーンは、うじうごめく死体置き場での「ここなら苦しむことはない」のセリフである。
たとえ凄惨であっても、生きていることに満足していれば苦しまない…。
確かに、目的を果たしたはずのフュリオサが、なお一層苦しみを深めているように見える辺り一理あるものの、それを100%は肯定できないあたり、豊かさを求めるのはやはり人間の性なのだろう。問題はどこで満足するかである。
前作では、世界観がよくつかめなかったものの、あの世界での歴史や政治、社会事情への理解がとても深まり、最後の前作の振り返り映像がなんともカタルシスに満たされる時間であった。
全く飽きることのない2時間ちょっと。
いやはや、ほんとに面白い映画でした。

その他考えたこと

人々はなぜ争うのか?
その理由は、リソースが有限だからに尽きる。作中で自然淘汰という言葉が使われていたが、(本来の意味とは使い方が違うが)、人間だけでなく、自然界でもリソース奪い合いは当然のこととして起こっており、争い自体は珍しいことではなく、それ自体は悪でもない。

では、人々の争いの何が問題になるのか?
それはエネルギー規模の大きさにあるのではないかと思う。
人類は、地球表面を破壊し尽くせるだけのエネルギーを核爆弾という形で所持している。
これが使われることは、まずほとんどないと思われるものの、恐ろしいのは、これを使うこともやむなしと言われる状況が東西冷戦時にあったということだ。
地球表面を破壊しつくだけのエネルギーを使ってもなお、自国にとっては得なのである。それを平和的に利用したとしても、人類のエネルギー需要は全く満たされることはなく、核爆弾は核爆弾として使うのが最も効率的と考えると末恐ろしい話である。しかもほとんど使われないとはいったが、現状、核爆弾が使われないのは、自国が使えば、相手も使って共倒れになるからという外交上の均衡点であるからという理由に過ぎない。

さて、人類は戦争の歴史であるとは、作中でも語られる。
今も、ウクライナロシア戦争、パレスチナ問題、中国とアメリカを中心とした対立、この混沌極まる状況は解決のみ込みが見られない。
「戦争は悲惨だ、良くない。争いなんて、仕掛けるやつが悪い。」
資源に恵まれた日本にいたら、そう思ってしまう。私もずっとそうであった。
だが、世界はそんな単純な話ではない。
日本の恵まれた資源は、地政学上の優位性があり、祖先の皆様方が頑張ってくれたからに過ぎない。
今の豊かさは未来永劫続くことはない。
CO2排出量は増え続ける、気温は上がり続ける可能性が高い。
それを食い止めるため、自然エネルギーから100%エネルギー転換が可能になったとしても、太陽エネルギーを自然界からいただくには、生態系へのダメージが相応にあり、その影響は未知数である。
果たして最後の希望は、核融合だが、技術的に完成する日はいつになるか。

…こんなことを書きながら、電気をつけスマートフォンをいじっている。
エネルギーの大切さを考えながら、エネルギーの無駄遣いをしているこの現状はなんとも皮肉である。
にわゆ

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