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セブンのrensaurusのレビュー・感想・評価

セブン(1995年製作の映画)
4.7
この映画の本質は、サスペンス映えするシリアルキラーでも、衝撃のラストでもないと感じる。

今作を「別格」にしているのは、サマセット、ミルズ、ジョン・ドウがあまりにも「人間」であるからだ。会話と発言の端々にその人に映る世界が表れており、生きているからこそあまりに苦しく、救いようがなく、無気力で、絶望して、それでも希望を見つけたり、努力する価値を見出したりと、現世に存在するあらゆる感情が想起され、胸の中で渦巻くという感覚があるからであるように思う。

サマセットは妻に宿った子を産むことを恐れ、諦めるほど現世に絶望している。「無関心が1番の解決だ。人生に立ち向かうより麻薬に溺れる方がラクだ。稼ぐより盗む方がラクだ。子も育てるより殴る方が容易い。愛は努力が要る。」という彼の台詞は何紛れもない事実である気がしてならない。幾千もの事件を見てきた彼も、やはりジョン・ドウのような怒りや失望を抱いており、ジョンのような犯罪者が出てくるのは決してイカれているからではないと理解している。

ミルズはジョンを終始イカれた奴として扱い、世の中への絶望の感情を理解することを拒んでいた。サマセットはこれをミルズが未熟だからだと言ったが、こういった思考も現世をより良く生きるための自己防衛であるように感じた。少しの希望もなければ、行うべき行動はなされないだろう。それすら剥がされてしまったミルズのラストシーンでの行動はまさしく彼がどうしようもない絶望を目の当たりにしたからであり、ジョン・ドウやサマセットの絶望を理解したことの表れであり、ジョンの計画を完成させるものだった。

ジョン・ドウは、罪のない人間はいないと語る。世の中の人間は、それが些細であるがゆえに追及しないが、それがゆえに世の中は救いようがない現状であり、罪深い人間を罰さなければならないと言う。ジョンは、世の中に絶望し、無関心を決め込んだ人間の対極に存在し、自らが罰することでそれが研究され、語り継がれ、罪のない世の中になることを望んでいる。このジョン・ドウの願いは、誰もが抱いたことのあるものではないだろうか。しかしそれが手に負えないし、自らが行う義務はないと考えるし、これ以上の最悪に怯えているため、無関心を決め込む。自分は彼をイカれているとは感じられなかった。

「ヘミングウェイ曰く、『世界はすばらしい。戦う価値がある。』という。後半には賛成だ。」というサマセットの結論はこの映画を集約するにはあまりにも短いが、あまりにも的を得ており、僅かな救いとなる。 

七つの大罪になぞらえた連続殺人。サスペンスとして文句を付けるのも野暮なほどの見事な脚本。今観ても色褪せないハイセンスな映像。ミルズとサマセットのバディ物としても優秀であり、名もなき男、ジョン・ドウの絶望による行動を目の当たりにし、何も感じない人間はいないだろう。ジョン・ドウはヴィランとは言われないが、ジョーカーにも通づる完全な筋を通した犯罪者であり、もっと語られるべき役である。

今作を観たという衝撃で1週間はあとを引きずる、名作と呼ぶに相応しい映画だった。
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