たけまる

セブンのたけまるのネタバレレビュー・内容・結末

セブン(1995年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

友人が「ダンサーインザダークとならんで「大好きだけど心身共に万全な状態じゃないと観たくない映画」の頂点」と言っていたが、まさにという感じの映画だった。

非常に吸い込まれるが、観てる間の緊張感と心労がやばい苦笑

それこそ解説サイトとかで散々考察はされ尽くしてると思うが、もはやこの映画を観て、
1. あれはどうだったこうだった、というのを考えないとそもそも観た意味がない種類の映画
2. けど、それをあーだこーだ考えれば考えるほど、本映画の犯人の術中
という、構造的に絶対に勝てない映画だと思ったw

途中の奥さんのフラグ立ちまくりのところからはやめてくれ〜〜〜〜という心の叫びがなりっぱなし。そのまま気持ちが届くことはなく、全く止まらずでラストまで突っ走ってく。ラスト数十分の時間感覚は異様なんだよなー。だけどそこがこの映画はめちゃくちゃいい。独特のソワソワした状態があれだけ長く続くっていうのもなかなかない。

この前観たグリーンブックと同じく、暴力を否定する黒人、という構造がこの映画にもあり、グリーンブックの感想にも書いた、「どんなシチュエーションにおいても暴力は否定されるべきものなのか?」という問いは同じようにあった。なので同じ様に三島由紀夫の話にいき、全くの繰り返しだが、明快な解まで至っていないものの、自然法的捉え方を肯定するわけではないが同じように実定法的捉え方もできない、というのが今のところの僕の考え。
なので、最後のブラピに怒りの罪があったのかなかったのか、というのを固定的には捉えられない、という立場だ。自然法的にとか、実定法的に、と一律では考えず、絶えず色々な観点で考え続けるたゆまぬ平時があればこその、それを前提とした、有事の瞬発こそが最大の解である、という立場のイメージ。ゆえに、あのワンシーンを捉えてどうだこうだ、という議論はできず、本件も一題材としての定置しかできない、ゆえに"流れ"の中の一出来事として本映画を考察・議論することには価値があると思うが、固定点的な議論は無意味、という立場だ。

まあ何事もそうか、という感じだが。。というのと、こういうと何も言ってないのと同じだ、ということを言われそうな気もするが。。^^;; 気持ち的には断じてそうではない。。
たけまる

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