福

ドライブ・マイ・カーの福のレビュー・感想・評価

ドライブ・マイ・カー(2021年製作の映画)
4.9
傑作です。3時間は長い…と観る前は思っていましたが、3時間とは言わず5時間でも10時間でも体力が尽きるまで観続けていたい…と思える映画でした。
 
「パン屋襲撃」「風の歌を聴け」等村上春樹原作の映画はいくつかありますがどれもそこまで好きではありませんでした。本作が傑作と思えた理由は筆舌に尽くしがたい映像や演技の美しさはもちろんですが何よりエンターテイメントとしての強度が十分にあったことが大きな要因としてあると思います。
 
エンターテイメントの強度を保証する最も重要な要素として僕が思うのは「続きが気になる」かどうかです。当たり前なことですがこれは本当に難しい。(僕は漫画家なので、人並み以上に理解しているつもりです😭)。
本作では愛する妻の浮気現場を目撃してしまい、しかも糾弾できずその場を離れてしまうというスリリングなシーンから、この主人公(とその妻)はいったいどういう結末を迎えるんだろうという期待を私たちは持つことになります。同時に、聞くことのできなかった妻の真実や、ドライバーとの関係性、不倫相手であろう俳優など様々な軸が本作は同時に走っており、どれも気を引くものになっていることがまずとても素晴らしかった。天才が気分でつくった作品ではなく(そうかもしれないけど)膨大な時間をかけて地道にコツコツと様々な可能性を模索し続け完成に至ったのだと推測されますし、後述しますが映像表現も上のように絵というよりは画であり緻密な計算と思考が感じられ、なんて贅沢な映画なのか。。。。とうっとりしながら鑑賞していました。

また、他にストーリーテリングにおけるエンターテイメント性の強度が増す要因として最近僕が考えているのは”フリとオチ”です。本作で言うと、例えば「顔に傷があるが手術で綺麗にできるのにそれをしない」「チェーホフはもう演じられなくなった」はフリです。対してオチは「手術で綺麗にする決断をする」「チェーホフを演じられるようになる」です。
エンタメとは理想の体現です。想像してみてほしいのですが、あなたの本当に好きな映画は「この物語を私も体験してみたいな」と思えるものではないでしょうか。それがどんなに辛い展開や結末を迎えるものであれど、そう思えるものだけがあなたのオールタイムベストになると思うのです。
 この映画はそういったエンタメとしての強度を十分に確保するための要素が意思を持って散りばめられており、それがこの映画を雰囲気映画に貶めない果てしない要因になっていると感じました。
  
最近連載準備ばかりしているので↑のようなことに敏感になっておりすらすら書けたのですが肝心の批評は…僕は感度の鈍い人間ですのでできません。
。ので特に素晴らしく良いなと思ったところをいくつか書かせてください。

僕は庵野秀明の「式日」やポケモンのエンテイの映画が大好きなのですが、この映画もこの二つと同じものに数えられると思っています。
 「辛いことから逃げ続けるが、最終的に対話を経て真に救済される」というお話だからです。式日とエンテイは虚構に逃げ込むという分かりやすい逃げ方をしていますが本作はチェーホフを演じることをしないという方法で自分の本心に向き合わないという逃げ方をしています。
この”対話を経て”という部分が凄く好きなのです。こういった映画ではまわりくどいいろんな逃げ方をひたすらするのですが結局一番やりたくないことに向き合うというただただひたすらシンプルな結論に帰結するからです。それはなんらかの本質を告げているような気がするのです。
 
 この映画ではそれがとてもシンプルに、しかもはっきり言葉にされていましたね。演劇以外で唯一感情を表に出すあのシーンは本当に美しかった。加えてその前のシーンで花を買いにいったん車を停めるあの無音のカット。あれは心から美しかったから、死ぬ前に思い出したいシーンの一つになりました。
 車を停車させ再び発車させた後にそこには「土産・花」と書かれた看板がある。ああ、手向けを買ったんだと観客に思わせる。実際その次のシーンではドライバーが手にオレンジの花束を握っている...。
  このシーンまでの一連のシーンは船だったり車のエンジン音など騒がしい音がひたすら続いていたので、それがあっての無音なのですね。優れた映画は思考の密度が違うのだと改めて思わされます。
 この映画は絵コンテが美しいです。できる限り説明をせずそれでも分かりやすく説明してくれるのが本当に心地よく、語り手の技量を感ぜられ安心してお話に耽ることができます。何よりオシャレなのよね。
 盗撮犯に暴行するシーンとか、そんな見せ方する?かっけぇ...とうっとりしながら観てましたもの。

ドライバーとの関係性も素晴らしかった。よくある学園モノ漫画で、ヒロインと主人公は最初めちゃくちゃ仲が悪いんだけど最終的には恋人同士になるみたいな典型的なやつをやっていて、まずエンタメとして良かった。フリとオチの話で言うと、妻の運転で、車線変更をなぜしないのかと問う冒頭のシーンはフリです。ドライバーの初運転シーンで見事に車線変更をする分かりやすいマスターがありましたね。あれはオチです。このドライバーは運転が優れていることをわかりやすく説明する素晴らしい1要素でした。
キャラクターも良く、勤勉で真面目に仕事をこなすプロ感が好感を持てます。基本的につんけんしてるのですが、手話と通訳の夫婦の家でご飯を食べたときに主人公から褒められると、その場では無表情でしたが食事中なのにいきなり犬と遊びだして主人公に見えないように微笑んでいたのがは〜も〜いいな〜くそ〜って感じでした。

チェーホフの戯曲については何も分かりません。そもそも戯曲を読んだことが人生で一度もないからです。でも、オーディションのときから既に泣きそうだったのですが、あの手話の方のセリフはなんなんでしょうか。あのセリフには出会っといてよかった。戯曲読もっと。原作よりも戯曲が気になる。

 この話は創作行為における自浄作用によって救済される話かもしれない。そう考えると先日大きな話題になった藤本タツキ「ルックバック」に近いものがあるのかも。
 表情を殆ど表さない主人公がそれを存分に表すのは舞台の上だけでした。自分の内側をさらけ出せるのは舞台だけということでしょうか。それによって精神の均衡を保てているのだということ?なんでこの映画は表情の変化をかなり抑えているのか誰か分かる人いたら教えてください。
 
最後にこれは僕のリテラシーの問題かもしれないけど、この素晴らしい映画にはぜひとも問いを観客に投げかけてほしかった。問いとは、もののけ姫でいえば「森とタタラ場、双方生きる道はないのか?」だし、新世紀エヴァンゲリオンでいえば「全体と個」です。(どっちもアニメですみません)この場合の問いとは答えの出ないものです。これを一つどこかに微かにでいいから設置すれば、物語にさらなる深みを与えられたんじゃないだろうかと思うんです。
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