「再構築」って言葉がしっくりくる、タバコ目薬助手席逆光トンネル頬の傷、広島を舞台にしたこと、原作では踏み込まなかったところに踏み込むこと、既存の舞台をぶつけること
濱口監督は「会話」を大切にする監督だと思うけど、同時に、結局のところ、たかが会話ですべてが伝わるわけない、とも思っているんじゃなかろうか、それはマイナスな意味ではなくて、前向きな諦め、客観的な自覚であって、じゃあどうするかって話で
(追記)
貸出中だったワーニャおじさんが家にあった、借りてたのはお父さんで予約1は私、映画館で隣がお父さんだったときと同じくらいびっくりした、気が合う