りょう

ゴッドファーザー(最終章):マイケル・コルレオーネの最期のりょうのレビュー・感想・評価

3.8
 PartⅠとPartⅡのファンとしては、PartⅢを観ることにはずっと(30年以上も)躊躇していました。しかもオリジナル版をすっ飛ばして再編集版であるこの作品を観ることに…。
 マイケルが過去の悪行の呪縛に苦悩するシーンが印象的で、全編をとおして高揚感がありません。堅気になれないマフィアの転落という意味ではセオリーどおりの展開でした。教会やオペラの要素が反映され、多義的で多様性のある物語になっていますが、映像と演出に重厚感が不足しているので、本来の効果が得られていたとは思えません。エンディングの暗殺とオペラの複合的なシーンが評価されているようですが、少し冗長で緊迫感が低下している印象です。物語のスケールと比較してもオペラのステージが貧祖でした。
 16年を経過してもPartⅡまでの主要なキャストを再現できたことは素晴らしいと思いますが、トムを演じたロバート・デュバルが不在なのは致命的でした。ファミリーにおける彼のポジションは、映画そのものの品格にも影響していたからです。
 当時はソフィア・コッポラが酷評されていましたが、1999年の「ヴァージン・スーサイズ」から監督として活躍することとなったイメージがある現代となっては、それほど悪い印象ではありません。むしろフランシス・フォード・コッポラ監督が完結編に自分の娘をマイケルの娘として出演させ、あのようなエンディングに起用したことは、結果として意味深いものになっているようにも思います。
 物語そのものが下降していく一方で、若いビンセントの役柄が作品としての均衡をうまく維持していました。冒頭はチャラいチンピラのように登場しますが、中盤以降の言動には幹部としての自覚があり、終盤にはかなりの風格が感じられます。アンディ・ガルシアのキャスティングがなければ、物語が破綻しかけたかもしれません。
 ラストシーンがあまりに悲痛で救済もないままエンディングとなってしまいます。ここにも賛否あると思いますが、マイケルに贖罪の機会を与えるならば、もう少し余韻を感じられるゆったりした演出が欲しかったです。
 完結編として3部作に不可欠な作品ですが、逆にPartⅢだけではあまり存在意義がありません。およそ比較の対象として相応しくありませんが、その意味だけでは「マトリックス」シリーズの系譜に似ていると思いました。
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