昭和天皇崩御と国鉄の分割民営化による労働組合の解体が起きた年の北九州が舞台。(ちなみに北九州市は青山真治監督の出身地)
母性への復讐と憧憬というアンビバレンス、健次の周りの女達を中心に展開する「サッド・ヴァケイション」とは対称的に父性の消滅が描かれている。
のは表向きで、その実この年に起こった右派にとっても左派にとっても衝撃だった出来事たちへのやり切れなさを示しているのかなーと。
両者とも父の死に直接立ち会ってないけど、父の死を信じられなくて、またはそれを切っ掛けに自棄になってるのは薄々気付きつつ足掻いてる。
でもその暴力の先に何も見えない。
「手遅れ感」を演出するものがたくさん散りばめられてたように思う。
NIRVANA(涅槃)のTシャツ、三輪車で割られた窓ガラス、音の出ないテレビ、壊れた電話、溶けたチョコレートパフェ、健次の父が病院で歌う「international」(←八幡製鐵所の鉄鋼労働者が歌ってた曲らしい)、逃げたうさぎなどなど。他にもあるのかもしれないけど。
時間の表現も焦燥感を煽るよね。
物だけじゃなくて安男は片腕だしユリは足が悪くて知的障害者だし秋彦は元いじめられっ子。
秋彦が起こそうとしてた同窓会での殺人って実際に似たような事件無かったっけ?
バッグから出てきた安男の右腕がミイラ化?してて白っぽくてゾッとした。
仮出所の安男が白い粉(おそらく薬物)をどこから手に入れたのか疑問が残った。
兄貴を殺した時かなと思ったけど組はもう解体したはずだし。
ヤクザっぽいものを描くことで安男がオヤジや組にまだ固執してたことを示したかったのかな?わざわざ健次に預けたのも理由が私はわからなかった。
「help me」を誰かに託しておきたかったのかな。ちょいちょい自殺図ってるし。
ロングショットだから表情が読み取りにくいしそもそも表情の演技が殆どない。セリフより環境音が多い。
凶器に使われたフライパンといい、セリフより環境音のが多く聴こえることといい、日常の中で突然起こった狂気が強調されてるように思う。
普段洋画を見ることが多いからか乾いた空気感とか情報量の少なさが新鮮だった。
シンプルなストーリーで疲れないし見やすいわりに、考察しようとすれば色々発見が出てくるのがよかった。
特に批判する所がないけど好き嫌いは別れるだろうなという感じです。
考察厨が作った映画という感じ。
あとこれは最大のネタバレなんですけど、ナポリタンが食べたくなります( 'ω')