KeiRalph

狂猿のKeiRalphのレビュー・感想・評価

狂猿(2021年製作の映画)
3.8
※えー、前もってお伝えしますが、今作のレビューは映画以上の思い入れ強いと思いますので、ご興味ない方は読み飛ばして頂いて結構です…

入院中の公開で間に合わないかと思ってましたが、遅れて公開してくれていたみなみ会館、さすが俺のホーム!よくわかっていらっしゃる!

何を隠そう、いや隠す事でも無いですが、プロレスファン歴ウン十年、デスマッチ観戦歴もウン十年の私には避けて通れない映画。

「デスマッチ」というジャンルを世に示したのは国際プロレスの金網や、猪木対上田の五寸釘デスマッチだったり、またデスマッチを世に知らしめたのは大仁田厚や松永光弘ですが、デスマッチを特別なものでない試合形式として認知させたのは、本作の主人公、葛西純であります。

本来デスマッチとは、非日常性としてあり得ないものであり、それに触れるか、触れないかが肝の時代が長くありました。

それが、葛西純をはじめとしたデスマッチファイターと呼ばれる現在のデスマッチに於いては、試合を成立させるための手段として効率よく使用し、痛みと説得力の両方を見せることで、デスマッチというジャンル、および自分自身の存在意義を高めた先駆者であります。

私と葛西純との生の出会いは今を遡る事約15年前、大阪の野外の会場で見た大日本プロレスの興行から。当時は仕事やプライベートがことごとく空回りしており、何かにすがりたい、いや発散したい!という衝動に駆られておりました。

そんな状態で見たメインの蛍光灯デスマッチ。出し惜しみなく破裂する蛍光灯、それに比例して流れる血、自分の席がどうでも良くなる程延々と繰り返される場外乱闘、そしてリング運搬トラックの幌上からのダイブ!

現実では起こり得ない悪夢(いい意味)の連続。大仁田時代のデスマッチも生観戦してましたが、常に悲壮感が漂うネガティブなものでなく、真夏の日中、野外というシチュエーションも相まったポジティブなデスマッチ空間に、私の閉じこもっていた精神は一気に解放されたのは言うまでもありむせん。

その試合をほぼ中心でコントロールしていたのが、他ならぬ葛西純でありました。身体中に刻まれた傷跡は、デスマッチのカリスマと呼ばれても何ら遜色のないその佇まいは何ら説明不要。無論、今も変わらず葛西はじめ、デスマッチを中心としたプロレスに足繁く通う事になるのは言わずもがな。

そんな空間に水を差すこのコロナ禍。映画に限らず、プロレスの興行も同様のダメージを受けております。作中にもある通り、プロレスは観る側も声を出してナンボの世界なのに、声援や歓声を送れず、ひたすら拍手のみが選手に対するエールというもどかしい観戦スタイルは、やはり物足りなさも感じます。

とはいえ、プロレス、特にデスマッチはライブで観てこそ意義がある!今の観戦スタイルを乗り越え、コロナも克服した暁のタメとして、この状況を体感しておく必要がある!

かなり観る人を選ぶ作品であり、作品中の映像も、見慣れた私ですらちょっと引く(蛍光灯デスマッチとスローモーションの相性が抜群)シーンもありますので、万人に受け入れてもらえないとは思いますが、今のプロレス、そしてその極北に対すると思われるデスマッチにも、人を感動させる世界があるのだ、と理解頂けるとこの上ない喜びです。
KeiRalph

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