阪本嘉一好子

Vietnam Symphony(原題)の阪本嘉一好子のレビュー・感想・評価

Vietnam Symphony(原題)(2005年製作の映画)
4.9
ベトナム国立交響楽団の歴史のドキュメンタリー映画で、特に、ベトナム戦争中、米国の攻撃のなか、どう楽団員が切り抜けてベトナム国立交響楽団の基礎を築いたかが窺える。今は、本名徹次という日本人が常任指揮者だと思う。

いまでも忘れないハノイのオペラハウスに行ったとき。 真っ白なオペラハウスにバイクの後ろにのって到着した。すでに日は暮れていて、オペラハウスの右隣には白いアオザイをきた数多くの女性が立っていて、男性が来ては交渉してバイクの後ろにのせて、ここを去っていく。異様な光景だが、これが現実のハノイだった。二千九年にハノイを仕事で訪れている。私はハノイ人の一般家庭に宿泊していたので、交通手段はバイクの後ろか、バスか、歩きだった。
オペラハウスはベトナム人がチッケットを買ってくれ、二人で入った。不幸にもどんな曲が演奏されたか全く覚えていない。覚えているのは、楽器の音が悪かったことぐらいだ。多分湿度が高い地域なので、音が澄み切っていないのだ。こんなことを言っては失礼だと十分承知だが、当時は、ええ???これが交響楽団と思った。定期演奏会だったと思うが、観衆の少なさには驚いたことを覚えている。

ここ最近、このドキュメンタリーをみて、こんな苦労をして守り抜いた楽団なんだ。ベトナム戦争中、北部に疎開して、この交響楽団を守った人たちも演奏していたと思うが、もっと早くこのドキュメンタリーをみていれば、観賞の仕方も違ったのにと思って、申し訳なくなった。千九百六十五年に米国のハノイ攻撃で、ハノイ音楽院の(Hanoi National Conservatory of Music)生徒や先生は安全な場所に移り住みそこで活動を続けたから、その意気込みと才能が残り、今の楽団があるわけだ。村の人々の協力により、そこに音楽学校を建て、(演奏する講堂と教室をトンネルで結び付けたり)戦争が拡大されても、楽団員はそこにベトナム戦争が終結するまでの5年間住んで練習をした。当時の生徒や先生にインタビューしてそれがドキュメンタリーになった。