ケンヤム

クライ・マッチョのケンヤムのレビュー・感想・評価

クライ・マッチョ(2021年製作の映画)
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クリント・イーストウッドの身体が提示されると皆「あぁイーストウッド。」とつぶやくだけの身振りを延々と繰り返すのはもうやめにしないか。
イーストウッドの映画は、イーストウッド自身の身体をどう扱うかということが大きなテーマとして否が応でも提示されてしまう。
自身が出演していない作品においてもだ。
イーストウッドの目線は観客にとってイーストウッドの視線でしかないわけだし、イーストウッドの身体が画面に提示されている時はなおさらイーストウッドを私たちは意識してしまう。
さて、イーストウッドはこの映画で老いた自分の身体をどう扱ったか。
歩き、座り、横たわり、時々殴って(老いたイーストウッドの身体から繰り出されるパンチは決まって一撃必殺であった)というように最低限のアクションだけが提示され、アクションの物語上の意味だけが扱われている。
イーストウッドはイーストウッドととして、物語に奉仕しているようにも見える。それは受難の姿勢だ。映画という物語を老いた身体に引き受ける覚悟。
イーストウッドは馬に乗れなくなったと人は言う。「クライマッチョ」という映画をみたか?イーストウッドは暴れ馬の手綱を握って、見事に乗ってみせていたではないか。
イーストウッドは人を殴れなくなったと人は言う。映画をみたか?イーストウッドは今でも誰かの鼻をへし折ることができる。
物語の終盤唐突に物語に導入されるカーアクション!まさにクリント・イーストウッドからワンパンチ!鼻をへし折られたような気分になった。
あぁイーストウッド。。
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