白眉ちゃん

レミニセンスの白眉ちゃんのレビュー・感想・評価

レミニセンス(2021年製作の映画)
3.5
『沈みゆく男の世界に女は手向けの花束を投げた』


 監督・脚本はリサ・ジョイ、共同製作者はジョナサン・ノーラン。このコンビというとSF映画『ウエストワールド』('73)をリメイクしたHBOドラマシリーズ『ウエストワールド』('16)の製作者として知られるだろうか。「ウエストワールド」とは作中に登場する近未来の体験型テーマパークのことで、アンドロイドをホストとして西部劇の世界が忠実に再現されている。そこでは殺人や強盗、強姦といった違法な欲動が合法的に楽しめるとして富裕層のゲストの間で活況を呈している。『ウエストワールド』で無法の西部時代を再現した彼のコンビが初の長編映画で再現、提供するのは”フィルム・ノワール”の映像世界である。

 一般的に1940年代から1950年代後半に製作されたハリウッドの犯罪映画の類を指すフィルム・ノワール。特徴としては殺伐とした都市社会を舞台とし、シニカルな男性主人公と男を惑わす美女(ファム・ファタール)が登場し、犯罪や裏社会が絡む物語が展開される。また第二次世界大戦後の暗澹たるアメリカ社会の雰囲気が強く反映されており、濃い陰影の画作りは閉塞感を感じさせ、破滅的な結末を迎えることも多い。代表的な作品で言うとジョン・ヒューストン『マルタの鷹』('41)やハワード・ホークス『三つ数えろ』('46)などがあり、他にも多くの傑作がノワールの代表格として肩を並べる。

 『レミニセンス』は海面上昇や経済格差により崩壊間際の都市を舞台とし、記憶潜入の「レミニセンス・エージェント」として探偵のような役回りを持つ男性主人公の物語である。また一人の美女によって物語は動き出し、犯罪と裏社会の存在が絡んでくる。美女の謎めいた過去が暴かれ、彼女が主人公を裏切っているのか否かが観客への”引き”として展開される。正直なところ、この典型的なノワールのストーリーは教科書的再現に過ぎず取り立てて面白いわけではない。なんなら主人公に対する美女の愛が本物であったとわかる終盤の感動的な”再会”さえもどこか白々しく映るかもしれない。しかし、この作品を否定する気になれないのは『レミニセンス』がその空虚さも折り込みずみの甘く儚い虚構だからだろう。

 前述の通り、『レミニセンス』は海面上昇に見舞われた終末世界が舞台であり、市井の人々は美しい過去の記憶へと現実逃避を決め込んでいる。 仮に、このマイアミに聳える高層ビル群を「男たちが発展させた都市」という『アメリカン・サイコ』('00)のような「男の世界」のメタファーとして見てとるならば、『レミニセンス』はその「男の世界」が今にも沈み崩壊しかけている舞台設定となる。そして人々が現実逃避するようにこの映画自体もまた美しい過去の「男の世界」、シニカルでロマンティシズム溢れたフィルム・ノワールの映像世界へと観客を逃避させる。主人公ニックはメイの愛を信じ続け、最終的に彼女との記憶の中で生き続けることを選択する。現実世界の崩壊など歯牙にもかけず、TVアニメ『攻殻機動隊』に登場する美しい記憶に耽溺する廃人の如く、独りよがりに救われる。映画は一人の男の現実逃避として締め括られるのだ。

 ここで重要な立ち位置として”浮上”してくるのがタンディ・ニュートン演じるエミリーだろう。『ウエストワールド』でもキーパーソンだった彼女だが今作の最重要人物だと思われる。黒澤明の傑作『七人の侍』('54)の主人公は無論、勘兵衛(志村喬)を始めとする侍たちである。しかし、『七人の侍』の脚本上の本質的な主人公は百姓たちである。歴史的に見ても戦国時代が終わり、天下平定の時代に移ると侍は無用の存在となっていく。そんな中、田畑を耕し、生活の営みを続けていく百姓こそ歴史の勝利者である。そのことは『七人の侍』のラストでの勝四郎(木村功)の失恋と活力に満ちて新たな生活を切り開かんとする百姓たちを見た勘兵衛の「今度もまた 負け戦だったな。勝ったのはあの百姓たちだ、わしたちではない」のセリフからも読み取ることができる。同じように『レミニセンス』の主人公はニックだが、メイの愛を盲信する彼は途中から一面的なキャラクターとなっていき、最終的に未来を放棄する。対するエミリーはニックへの秘めたる想いを発露させていながら、彼が過去の記憶への逃避で身勝手に救われることを認め、自身は崩壊する未来の世界を生きていく。愛する男が他の女との想い出に浸るのを眺めながら、かと言って男を切り捨てることもできないままにその複雑な心中を押し殺して生きていくのである。その悲痛な屈折は作り手の古き良きノワール世界への深い愛情とその世界が遠い過去の記憶となっていくことの惜別の情を混ぜたかのように思える。そんな作中で最も大きな感情の渦を抱えた彼女の苦悶の表情がほろ苦い映画の印象を残し、甘く儚い虚構としていくつかの欠点にも目を瞑らせる。
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