しろわ

ウォンカとチョコレート工場のはじまりのしろわのレビュー・感想・評価

3.6
児童文学みたいな作品だった。魔法のようなチョコレートの力によって悪を懲らしめ登場人物が幸せになっていく物語。ラブロマンスはモブに預けられ、最終的に親子の愛に着地したのも客層をよくわかっている。実際親子連れとカップルで満席だった。

想像の三倍歌っていた。前情報なしで見たから面食らった。一緒に見た友人はティモシーシャラメの話しかしてなかった。原語版も見に行こうかなというてた。そんなにイケメンが好きかよ!日本語版で見たけど歌うまいなと思った。一番最後、ウォンカが工場にたどり着くシーンの歌が傑作!

魔法の表現は幼いころ同じような文学に触れたときそのものという印象。リスを調教していた前作から時代もたち、CGでできないことはかなりなくなったのはでかい。キリンもいいね。

資本主義の話だった。市場が悪い資本家のカルテルによって不当な扱いを受けており、また汚職によって市場外も資本家に支配されているので、何とかして市場を開放しようという話。テーマ自体は明快で、冒頭から靴磨きの少年がコミカルに(ただししたたかに)登場するし、ウォンカは開始15分で金を全部失って貧民窟にぶち込まれることからもわかる。最終的に、資本家が蓄積していたチョコレート=財がチョコレートファウンテンという形で普く労働者に分配されるのは、共産主義革命とも読める。その線でいえば、後日譚である『チャーリーとチョコレート工場』でウォンカが極めて資本主義的な工場長として描かれていたのは共産主義の限界を示しているようでアイロニカル(いうほどか?)だ。ウォンカのチョコがめちゃくちゃ安いのも談合の結果だろう。とはいえ、カルテル側のチョコ労働者は描かれていなかったな。さすがに賃金労働者は悲惨すぎて描かれなかったか。児童文学!
貧乏人は搾取され続ける、的な発言も資本関係に基づく階級社会への批判だ。その発言が黒人で孤児の女の子であるヌードルのものであるところはいろいろ背景を考えてしまう。まあ実際は、宿屋の他の労働者は貧乏人だからではなく情弱だから搾取されているだけであり、階級移動を経験していない生まれながらの貧民は彼女だけだから、彼女が言うしかないのだと思う。

一方で、ウォンカの行動原理は一貫して「素晴らしいチョコレートは世界を変える力がある」である。世界一のチョコ市場であるグルメガレリアを目指していたのは評価されたいからだ。市場はいい商品を適切に評価し選考する、というのは新自由主義的であるともいえる。こっちの解釈のほうが続編のウォンカの性格に合う気もする。偏屈になっただけで芯は同じという点で。まあ続き物としてみるべきではないのだろうけど。

銃が最終兵器みたいに出てきたのがウケた。児童文学すぎ。警察長官を手なずけた時点で、カルテルはウォンカを殺害することができたはずだ。けれど船で北極(だっけ)に送ろうとしたり、その船上で爆殺しようとしたり、挙句の果てには銃を突き付けておきながらチョコレートに沈めて殺そうとする。その銃は飾りか?

多様性に言及した感想を見た。「役に立たない人がいてもよい」「ショップを案内されるのは老人でもよい」とのこと。俺は多様性に関して一切興味がないことが分かった。これは排他的という意味ではなくて、多様性があろうがなかろうが話が面白ければそれでいいというスタンスだ。社会的には問題があろうが、個人消費のレベルでは文句は言われないはずだ。
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