走一路

Arc アークの走一路のネタバレレビュー・内容・結末

Arc アーク(2021年製作の映画)
2.0

このレビューはネタバレを含みます

原作未読。

SF映画として売り出されているイメージがありますが、宇宙やサイバーパンク等を期待するとがっかりすると思います。
冒頭の1/4くらいに近未来感はあるものの『プラスティネーション』という技術以外は現代かそれ以前のようなアナログな舞台設定でした。未来というより平成辺りの日本の並行世界をイメージすると受け入れやすいかと。
ただ、コンテンポラリーダンスを取り入れたような表現は素晴らしく、この点はこの映画への期待感を高めます。だからこそ後半に失速感が生まれてしまうという見方もありますが。

前半は自由奔放な放浪生活をしていたリナがエマの手引きでエターニティ社に入り、エマが去った後は彼女の仕事を引き継いでプラスティネーションの天才として社内で地位を得る。
その後、エマの弟・天音が不老不死を完成させるが、その直後にエマはパートナーの亡骸の横で自らにプラスティネーションを施し絶命することを選ぶ。

ここまでで決定的に不足しているのはエマのストーリーだと感じた。
彼女の生い立ちからパートナーとの思い出、パートナーを失った後の心情の変化、そしてボディワークスに携わる上で「失った愛する人をモノとして捉え受け入れることで悲しみを乗り越える」と謳う彼女の言葉はやはり建前だったのか。
会話によって断片的に語られる部分はあるもののエマが結局本当にしたかったことは何なのかが不明瞭で、ただの落ちぶれた科学者のように見えてしまった。

試写会の監督のお話によると、原作は前半のSF部分が多めで後半はあっさり描かれているが、映画では後半を分厚くしたとのことで、それが前半に登場する人物が抱える背景の薄さに繋がってしまったのかなと感じた。

リナが天音とパートナーとなった矢先、天音が不老不死化の不適合者であることが発覚。逆に急速な老化により亡くなる。

ここからこの映画のメインと言っても良い介護施設の話が始まる。
このパートは白黒で表現されているのだが、監督が「カラーだと本当に『島』という映像になってしまうから白黒で表現した」と仰っていた通り、適切な表現手法だと感じた。不老不死化が不完全だったという衝撃的な大事件により大きく狂った人類の描写をするのにも大変適していると思う。

ここではリナと天音の子や冒頭で描かれたリナが置き去りにした子・リヒト及びその妻との話が軸になる。
リナはリヒトが置き去りにした子であると気付き、リナとリヒトの船のシーンでこの映画のハイライトが描かれる。そしてリヒトは「母さんも自分の人生を生きなよ」と言い残し去っていく。

ラストシーンはプロローグにもあったリナ本来の何にも縛られず自由に世界に触れるような天を掴むシーンでスゥーっと終わる。ここはとても美しく映像としてとても良かった。

今回、リナを演じた芳根京子さんが一番難しい役どころだと思う。
私が疑問に思うのは果たして身体が成長しない場合、精神は成長するのだろうか?という点である。
人間は身体的な変化により出来ること・出来ないことが増減し、それに伴い精神面も変化すると思う。それを考えると不老不死となり身体的な変化のない人物の中身を年齢という単位で変化させることは適切なのだろうか。

総評的なところを述べるとエマのストーリーをこれだけ浅く描くのであればリナがエターニティ社内部に入る設定を含めごっそり削っても成立したように思います。『人類で初めて不老不死化した女性』という設定は崩れますが必要不可欠ではないと感じました。

例えば、リナは運良く不老不死化を受けられた一般人で、受けられなかった人を受け入れる施設で働く人物。不老不死故の苦悩の日々の中に偶然自分が置き去りにした子・リヒトの夫妻が現れるというようなストーリーでも良さそうだなと。

宣伝でSFを前面に押し出すものの実際はSF表現が必要不可欠でないため観客が期待するものと作品が表現したいことにズレが生じていると感じたことと、作品が表現したいことに新鮮さを感じなかったことから低評価とさせて頂きました。

余談ですが映画を見終わって先ず頭に浮かんだのは寺山修司の「幸福がとおすぎたら」でした。

さよならだけが人生ならば
人生なんかいりません
走一路

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