あらゆる事由に決定力を持てないボーには共感しかなかった。反対に、共感できない人にはただ最悪なことのつまらない連続にしかならないのかもしれない。
人には父母が必ず存在し、必ず明確な自立の場が提供される。それが自我の芽生える前か、体が衰退した老体になってからナノカはわからない。
子は親の目を気にしすることがあるが、それも成長の過程(選択肢)なんだ。
子は親に対して【生きていてほしい】【死んでほしい】という矛盾した感情をもつが、親も子に対して【親である自分を愛してほしい】【家を出て愛する人に愛情を注いでほしい】が試されているのだろう。
親子の恐れ、男性が女性に感じる恐れ。逆もまた然り。
子のことを理解できない、そのままを愛せないことに提言した作品と解釈した。これは親の問題?子供が病気だから?
トゥルーマン・ショーのようなコメディに混沌を混ぜたようなこの映画は見るものに苦痛を与えるが、日常の苦痛を分かりやすくしてくれている。
私も自分で決められず困ることがあるが、人にアドバイスを求め続けて生きていたい。
長編でありながらも、シーン転換や情景にある意味マッチする音楽に期待が膨らんだ。特に効果音、音楽が印象に残る作品。