ちゅうじん

ボーはおそれているのちゅうじんのレビュー・感想・評価

ボーはおそれている(2023年製作の映画)
3.4
アリ・アスター自身が恐れているものを描いていると藤本氏が言っていたがその通りであると感じた。
加虐的なパターナリズムや、薬による幻覚・バッドトリップなどの精神異常、性行為への嫌悪など、一見すると個人的問題である複数の細やかな要素を、ボーの母親や、全裸の殺人鬼、巨大ペニス怪獣(巨ペニ)などの道具立てによって全員が認識できる”恐れ”へと変換し、スリリングな世界を構築していた。

物語は一貫してボーの逃避を描いているのだが、それぞれ文脈があるようで明確には繋がらないような短篇集であるかのように感じた。最初の方はボーが酷い目にあっていて可哀想だと思って見ていたが、途中から現実感が薄れ、薬でバッドトリップしてるだけじゃね?となり、最後ボーは実の母親に弾糾され裁かれる立場に置かれることになっており、ボーが一方的に悪者の立場に置かれている。
しかし結局ボーがそこまで悪いやつだったと反転するような描写もなく、見る方としては何か起こりそうな恐怖は感じるものの、何も起こらない・または回収されないままで一方的にぶつけられたという感じだし、別にそれでいいと思って作ってそう
雰囲気だけは一生覚えてると思うが、数日経ったら何をやっていたか全く覚えていないと思う
これをたくさんの大人が大真面目に作っているのが1番面白い、誰か反対しろ

ただひとついえるのはボーは常に「罪悪感」を理由に自分の意思とは異なるような選択をとり続けていた。自分としては他者を慮る心情でも、他者から見たらそれは責任からの逃避にみえる。利他的であることは利己的であり、責任から逃れ意思を通さないでいるボーは、周辺世界を恐れながら自分の責任ではなく仕方なくそうなったと理解してしまう。そのような生き方を称賛も批判をするでもなく、一つの劇舞台のテーマとして設定して作られた映画なのではないか。
これはいわばアリ・アスター版「君たちはどう生きるか」なのだ。
別に面白くはない。