ゆめ

ボーはおそれているのゆめのネタバレレビュー・内容・結末

ボーはおそれている(2023年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

自分の中での解像度が一度見ただけでは「ここはどういうこと?」「こういう意味だとしても所々のつじつま合わないな…」と思い
インタビューやパンフレット視聴後に感想を書くことにした。
インタビューからの言葉で
「コメディで冒険映画、ジャンルでいえば映画というより文学ジャンル
、ピカレスクものである。」(つまりボーは悪人であるということ!?)
確かに母親からしたらどうしてこんなに愛を捧げているのに答えてくれないのか、そして映画内にちりばめてある看板の文字(確か家に人が張り込んでしまい外で夜を明かした後に自分の罪を…みたいな看板があったので母親がボーに自分が何を犯したか考えてみなさい。とのことかなと。)
最後のシーンでもみんな母親の味方でボーの味方は一人しかいなかった、しかも直ぐにミッドサマーの時のように岩に落とされて死亡してしまうというセルフオマージュも。
多数決によって正義、悪が判断されてしまう…冤罪やすぐに死刑無期懲役が下されてしまうアメリカの裁判制度を彷彿とさせる社会風刺がここで見られる。ボーは観客からは被害者に見えるが映画内では悪者に仕上がっているという監督から視聴者への善悪の価値観の問いかけに思える。
事実それまでの定型を否定するものであり反抗的にストリーテリングするジャンルなので自由にパンクに描きたいとのことからきっとそういう風に考えて作ったのだなと。アリアスター監督、やはり好き…。自分が思い描いている理想の世界や正義をこのような昔からある文学ジャンルに沿いストリーを作っていくことで作品の深みを作っているなと感じました。

色々なことを恐れているボーが、母親のところに里帰りすることを何よりも恐れている。というシンプルなストーリーで、最初のシーンで子供が何か水場で遊んでいるところで母親が強く子供の手を引っ張り何処かへ連れていく。という動作をボーより手前の画面に配置して意識づけていました。
また、アバンカットでの出産のシーンでは母親のヒステリックな声や音を視覚的にも音的にも観客が「気持ち悪い」と思うように構成することにより、より作品への没入度と共通認識で「母親への恐怖」というものを植え付けることの誘導をしている。面白い手法、というか観客を楽しませようの監督性が出ていると感じました。(とても好き)

全体的に全て母親が仕組んだボーの愛情を試すブラックコメディ
セルフオマージュもしてるし最後のシーンとかもトゥルーマン・ショーを彷彿させたり
他のシーンも様々な映画のオマージュや影響を感じる作りであると感じた。
結構ブラックコメディ寄り(本当にピカレスク)で
じゃあボーはなんの罪を犯したからこんな目に遭ってるの?
という所だが
個人的に自分では無い他のものに責任転嫁をすると言うことを癖づけて
自分は悪く無いのにこんなに周りや世界がおかしいんだ!また、自分が不運を呼んでしまうんだ!の思い込み、自分中心の世界だから
の罪だと思う。
例えば、世の中に感謝をしてたり母親のことを怖いと思わずどこかしらを愛せれば
全てハッピーなのでは。
自分はあくまで一人間であり、不運が起こったとしてもそれは偶々そうなっただけで良くなる方にもできたはず。
考え方や捉え方で色々変わるんじゃ無い?を問いかけられた作品かなと思いました。

でもアリアスター監督的にはボーが母親に仕組まれたあの手この手で常に最悪の道筋を辿るブラックコメディだぜ!色んな要素散りばめちゃいました!
楽しんで考察してね。と言う風に現代アート的に作品にも思えるので見て楽しむ映画かなぁとも感じます。
ゆめ

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