BillyKilson

ドアーズ/DoorsのBillyKilsonのレビュー・感想・評価

ドアーズ/Doors(2021年製作の映画)
1.0
Doors
=ドア、ドアの複数系、沢山のドア、

新しい映画を観る、
という行為はまるで人生の新しいドアを開けるようなもの。
開けた先は日常と何も変わらない景色、なんの意外性も驚きもないかもしれないし、自分の人生を変える出会いがその先にあるかもしれない。
ただ、そんな重要な、人生を変えるドアこそ、ノブに手を掛け、扉を開いたその瞬間にはその扉の真の意味は分からないものだったりする。

あれは花粉飛び交う春の午後、友人から「ぜひこのDoorsという映画を観てほしい」と懇願された。
その友人は映画好きであり、且つ私も大の映画好きであり、SF映画好きである事を知った上でそう懇願してきたのだ。
その友人は一体なにを求めて、何を期待して私にこの映画を勧めてきたのだろうか。
人生とはその日その時の何気ない判断によって時に大きく舵を切り、思いもよらぬ方向へ進んでしまう事もある。
たった1人との出会いが運命を変え、たった一つのミスや間違いで命を落とす事もあれば、それが巡り巡って幸せをもたらす事もある。
そして絶対に選択しては行けない道、開けては行けない扉というものも存在する。
この映画が正にそれだ。
このドアはノブに手を掛けた瞬間、いや、ノブに手を掛ける前から開けるべきではないと分かっているドアだった。

ここ数十年で質の悪いタチの悪いSF映画が量産されている事は知っていた。
ひと昔前はSF映画作製にはそれなりの予算がなければ作れない為にそこまで質の悪いものというのは多くなかったが、
ある時を堺にCG技術の向上のせいなのか、非常に質の悪い、やる気のない、見た人が騙されたと思うような、詐欺のようなSFが増えたのは知っていた。
人の評価は絶対的ではないし、大勢の人が面白いと高評価を付ける映画でも自分にとっては駄作である事もあるし、その逆もある。
そうではあってもやはりとてつもなく低評価の映画というものは、その評価通りの映画というのが相場である。
ここでの評価が高くても、自分の評価は低いというのはままあるが、その逆というのは本当に稀にしかないのは経験上わかっている。
なので自分は映画を観る前にある程度はこのアプリであったりで評価を参考にはする。
いくらキャストやストーリー的に自分の好みであっても、ここでの評価が著しく低いものはそもそもが観ない。
そうする事によって人生における貴重な時間を無駄にしないようにしてきた。
だが、今回は例外だ。
ああ観てやるよ。
どうせ結果はわかっているようなものだけど、もしかしたらという事もあるのが人生であり、それが映画だ。
半ば喧嘩腰で観る事になったが、
分かった事は、ここのレビューは最低点が1.0点だという事と、
クソ不味いと思ったメシ屋を、失敗した‼︎
やられた!!と思ったメシ屋を、人に勧めるというのは絶対にしてはいけないという事だ。
な?不味かっただろ?
じゃねーんだよ‼︎‼︎
そう言う事だろ‼︎
テメーこの野郎‼︎
と友人の胸ぐらを掴んで詰め寄ったが、意外にも友人は開き直って半分はそうだが、半分は違うと言った。
なんと友人はこのク●映画を2度も観たというのだ。
●ソ不味いメシ屋で糞●不味いメシを喰らい、なんとそのメシをお替わりしたのだ。
正気の沙汰とは思えない。
けれど、友人は1度観ただけではこの映画のあまりのふざけた、見る人を馬鹿にしたストーリー展開を、深読みしたのか、そもそもが理解するもなにも、制作側も大した意味もなくそれなりの雰囲気だけでさも何か有り気に装う糞ストーリーを、理解出来ない自分が悪いと思ってしまい、
なんとか理解しようと、真剣にもう一度向き合って、おかわりしたのだ。
人は自分の理解出来ないものに直面すると、あたかもそれが自分よりも強大で尊大で尊敬に値するものだと評価してしまったりする。
何が描いてあるかわからない絵画。
難しいビジネス用語をならべるだけの経営者。
訳の分からないストーリーとオシャレ雰囲気だけの映画。
そんなものは全部クソなのだ。
理解出来ない時点で、感動出来ない時点でクソなのに、そこに深い意味を勝手に想像してしまう愚かな人が多数いるのもまた事実。

友人は
「映画好きな、SF好きな貴方がどういう感想を持つのか知りたかった」
「あのストーリーをどう捉えるのか聞いてみたかった」と。
こんなものはクソだ。
ストーリーなんてあってないようなもの。
そもそもが作っている側もそれなりの絵を撮っているだけでなんの意味も考えてすらもない。

こんなものは映画とは呼べない。