ブタブタ

ノーカントリーのブタブタのレビュー・感想・評価

ノーカントリー(2007年製作の映画)
4.0
原題『No Country for Old Men』

『もう古き者の国ではない』(意訳)
この「古き者」とは「善き者」とも取れると思います。
同じくコーエン兄弟監督による『ファーゴ』もごく普通の人々の生活のすぐ横にとてつもない「邪悪なる者たち」の世界がある。
それがはっきりとした形になって現れるのがシガー(ハビエル・バルデム)の様な怪物然とした存在でもあるし、しかしこの作品にはそれに対抗しうる「善なる者」がいない。
本来ならこの役割を担うのは主人公モス(ジョシュ・ブローリン)であるべきなのにモスは善人でも悪人でもないニュートラルな存在として描かれ、それ故に善にも悪にもどちらにも転がる存在として描かれる。
そして大金をせしめた事で簡単にダークサイドへと堕ちてゆく。

保安官ベル(トミー・リー・ジョーンズ)
はあくまでも傍観者で、この物語に邪悪に対抗する「善き者」は存在しない。
殺し屋シガーの圧倒的存在と有無を言わさぬ不条理さは誰にでも平等にある日突然訪れる「死」そのもので、それだけが『もう古き者の国ではない』アメリカに残された真実なのかも。

等と突然『ノーカントリー(←安直かつセンスない邦題)』を思い出したのはドラマ版『ファーゴ』を見たせいです。
コーエン兄弟監督『ファーゴ』『ノーカントリー』そしてファーゴの続きであるドラマ版『ファーゴ』は同じ世界観、「現代アメリカの寓話的神話」を描いてる様に感じました。
「善き者」と「悪しき者」、スターウォーズとも共通してますが「光と闇の相克」を描いてます。

それとコーマック・マッカーシー原作小説『血と暴力の国(←これもセンスない邦題)』の解説によると殺し屋シガーはもはや共感や理解を超えた悪、悪としか言いようがない悪でそれはつまり『ダークナイト』のジョーカーやエピソード4迄のダースベイダー等と同じ「純粋悪(pure evil)」

解説ではさらに社会問題や心の問題は人間にとって「内なる闇」といえるが、シガーのような存在は「外の闇」と呼べると書いています。

酷い事件が起きるとコメンテーターは馬鹿の一つ覚えみたいに「心の闇」と言いますが=自分たち善良な市民には理解できない関係ない頭のおかしい人間がやった事として片付けたがりますが、もっと恐ろしくどうにもならない理解出来ない存在として心の闇なんぞよりもっと恐ろしく理解し難い「外の闇」

「人生のある時点で偶然遭遇するかもしれない、私達の力では対処しようのない存在。それは私達の内側ではない、外部からやって来る災いです。自分の外部というのは、すなわち「世界」そのものといってもよいかもしれません。(←解説より引用)」

『ノーカントリー』『ファーゴ(映画・ドラマ)』共に普通の人々とある日突然やってくる「外の闇」との邂逅と戦い。
それこそ現代アメリカの神話。

ファーゴとの違いは善悪の境界すらもはや曖昧模糊とした世界と化していてなんとも言えない笑ってしまう程のモヤッとしたラスト。

「もう古き者の国ではない」
クリント・イーストウッド的「アメリカの正義」がもはや存在しない世界。

この世界の延長線上にジャック・ウォマック等のディストピア小説があるのだと思いますが長くなりますのでこの辺で。
ブタブタ

ブタブタ