Jeffrey

ノーカントリーのJeffreyのレビュー・感想・評価

ノーカントリー(2007年製作の映画)
4.5
「ノーカントリー」

〜最初に一言、悪魔か死神のような黙示録的存在、テキサスと言うアメリカを舞台に、スペインの俳優が現地で殺人を犯す、最もコーエンの世界観が描き出された、オリジナル脚本から離れ原作を映画化した最も面白い彼らの大傑作である。本作は奪われたものを取り戻そうとすると、更に失う事。答えの出ない問いを観客に突き付けた映画である〜

冒頭、1980年のアメリカ合衆国テキサス州西部。メキシコ国境沿いの砂漠、死体の山、大金を発見した男、それを追う不気味な大男。逃走と追撃、銃撃戦、殺し屋、ガスボンベ、空気銃。今、静寂の中での生きるか死ぬかのコインゲームが始まる…本作は監督映画史上最も暴力的な作品だと発言しているジョエル、イーサン・コーエン兄弟が監督、脚本、製作を務め、主演のハビエル・バルデムがスペイン人としてアカデミー賞最優秀助演男優賞に輝いた傑作の映画で、この度BDにて再鑑賞したが面白い。ちなみに当時助演女優賞は同じくスペイン女優のペネロペ・クルスが「ナイン」で受賞している。本作は2007年の米国映画で、コーマック・マッカーシー原作による"血と暴力の国"を映画化したものになる。映画祭では8部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、助演男優賞、脚色賞の計4冠を受賞している。因みに日本でも2008年度のキネマ旬報外国語映画ベスト・テン第1位になってる。本作はどこかしら「ファーゴ」との類似点が見てとれる。特に挫折感?原題のNo Country for Old Menは、アイルランドの詩人W・Bイェイツの詩、ビザンチウムの船出からの引用らしい。

本作のアメリカ西部の時代背景は、ベトナム戦争以降銃所有持数が爆発的に増え、80年代に入ると気軽に入手できる拳銃でいとも簡単に人間を射殺することになったアメリカ社会を西部で描き、その西部特有の例えば、家畜泥棒が現れ、犯罪を食い止めるために使ったり、麻薬密輸業者に取って代われ、国際的な麻薬取引が荒々しく行われる西部はアウトローな場所になり、いわば無法地帯と化し成長してきた現状を嘆くアメリカ人が、如何にに拳銃を必要としているかを描いているようにも見える。本作はほとんどと言うか、サウンドトラックが全然出てこない。音楽のシーンで盛り上がる場面は皆無で、極力環境音や物音を強調して、音楽を一切排除し台詞も限りなく少なくしているのが目立った。だから、音響設備の整ったスクリーン、液晶などで見ると凄まじいリアルな音が全身に鳴り響く…。

さて、物語は全ての始まりは1980年代アメリカのテキサス、メキシコ国境に近い砂漠にて。逃げる男、ルウェリン・モスは、狩りをしていたベトナム帰還兵である。偶然死体の山に囲まれたピックアップトラックを発見する。そのトラックの荷台には大量のヘロインと200万ドルと言う大金が残されていた。モスは自分の人生を大きく変えることを知りながらも、その金を奪ってしまう。この瞬間から彼の命は狙われることになる。追ってに車のタイヤを撃ち抜かれ、肩に銃撃を食ったモスは懸命に自宅へ逃げ帰った。現場に置き去りにした車の車検証プレートが相手に渡ってしまった今、自分の身元は簡単に割れてしまうだろう。身の危険を感じた彼は愛する妻カーラ・ジーンに実家に帰るように命じ、自分は金の入ったカバンと共に逃亡の旅に出る。

追う男、アントン・シガーは、消えた金を取り戻すために雇われた、コインの裏表で殺しを決める殺し屋である。彼は金が奪われた現場に来ていた。金を奪った男の車や状況を確認した後、自分を案内してきた麻薬の売人をその場で始末する。そして、盗まれた金に取り付けられていた発信機の受信装置と、ホースの先から圧縮した空気が飛び出すエアガンの様な不気味な酸素ボンベを携え、モスの行方を追い始める。追う男、その2。エド・トム・ベル保安官。翌朝、部下のウェンデルが現場検証にやってきた。そこに残された検査証プレートの外されたモスのトラックと、無残に横わる死体の山を見たベル保安官は、モスが事件に巻き込まれたのではないかと考える。このままでは彼の命が危ないと思ったビルはモスの身柄を確保するため、そして殺し合いをとらえるために彼らの行方追う。

逃亡劇の開始。モスは別の街のモーテルにチェックインし、金も隠して用心を重ねていた。しかし、すぐに殺し屋シガーは自分の居場所をかぎつけやってきた。慌てて別のホテルへと隠れ場所を移動するモス。しかし、またしても居場所を突き止められてしまう。一体なぜなのか?そこでようやくカバンに発信機が仕掛けられていることを知る。しかし、時すでに遅し。シガーはもう目の前まで来ていた。シガーはボンベのようなエアガンで、モスが隠れる部屋の錠のシリンダーを打ち抜いた。そのシリンダーがモスの腹に命中し、モスの腹からは血があふれだす。激痛に耐えながらも金を持って部屋から脱出したモスは、シガーとの銃撃戦の末かろうじてその場を切り抜ける。モスはそのまま国境に架かる橋から金の入ったカバンを河川敷に投げ捨てて、メキシコへと逃げ倒れ込む。

モスが次に目を開けたのが病院のベッドの上だった。そこにはカーソン・ウィルズと名乗る別の殺し屋が座っていた。ウェルズは素直に金を渡せば命を助けてやると、モスに取引を申し出る。3者を待ち受ける運命のクライマックス。モスはすぐ病院からウィルズに電話をかけた。しかしその電話に出たのはシガーがだった。俺に会いに来い。金を渡せば女房を見逃してやる。でないと2人とも死ぬことになる。これが最良の取引だ。妻と言う弱みを握られたモスは分かったと答えるしかなかった。しかし、ベトナムを体験、生還したモスは金を奪い殺し屋から逃げおおせる自身があった。一方シガーのほうは、金はおのずと自分のところに戻ってくる運命にあり、自分から逃げられるものはいないと言う自信があった。

その頃、ベル保安官は実家に戻っていたカーラの元を訪れていた。モスがいかに危険な状況に置かれているかを説明し、彼を助けたければモスの居場所が分かり次第すぐに自分に連絡するように説得する。収まらない胸騒ぎを抱えながら街を離れると、まもなく彼女から1本の電話が入る。ルウェリンの居場所がわかったわ。すぐさまモスの元へと車を走らせるベル。冷静な目を持つ法の男ベル保安官は、昔ながらの秩序と正義が悪に勝つと言う自信があった。果たしてベル保安官はモスを救うことができるのか?もしくは逃げ切ることができるのか?そしてシガーはモスを射止めることができるのか?それぞれの思惑と自信が絡み合いながら、男たちは意外なクライマックスを迎えることになる…とがっつり説明するとこんな感じで、映画史上最も気持ち悪い髪型の圧倒的な殺人鬼(殺し屋)が出てくる映画だ。




いゃ〜、リチャード・ウィドマークも真っ青なほどのものすごい形相で、画面を支配するバルデムの顔芸は、とてつもないインパクトを残す。もはや彼の芝居を見るだけでも価値のある作品で、正直コーエン作品はあまり好きではないが、この映画はダントツで好きだ。殺傷力抜群のビジュアルインパクトの中に、保安官を首絞めているシーンでは、一体全体何が起きているのか…単純明快な画面の中にわれわれはいるのにもかかわらず、何が起こっているのかがさっぱりわからなくなってしまうような錯覚に陥る圧倒的な顔面殺人、これほどまでに特殊メイクなどを使わずに素のビジュアルを活かしてド派手に決めてくれた役者もいないだろう。それをロジャー・ディーキンスがキレキレに撮るのであるから興奮覚めない。最早、殺人鬼が首を絞められているのか、保安官が首を絞められているのかわからないのだ。それとディーキンスは2017年と2019年にようやくオスカーを2度受賞したのだが、かなり評価されるまでに時間かかったなと思う。

このハビエル・バルデムが作り出した七三分けのおかっぱ頭が、また冷酷な殺人鬼であることに笑ってしまう。決して笑えない物語にも関わらず。半ば冗談かお前と言うほどのヘアスタイルである。そこに殺傷能力アイテムとしてボンベと高圧銃と言う風変わりな武器をチョイスしているのもこれまたおかしいのだ。拳銃を持って撃てば楽勝なものを、あえて鉛の重い荷物を手に持ってのろのろと歩くのだ。まさに絶対防御、亀の甲羅(のろのろ歩く)そのものだ。アベナーバル監督の「海を飛ぶ夢」では、瀕死の状態だった男を演じ、尊厳死を求めた男とは360度変わった人物像を完璧なまでにこなしている。正直な話、ハビエル・バルデムには恐ろしい役の方が似合っている。

それにしてもトミー・リー・ジョーンズって保安官の役めちゃくちゃ多いよなぁ。そういえば、この作品テキサスが舞台だけどジョーンズはテキサス州出身の俳優だよな。てか原作者のマッカーシーもテキサスに住んでいるし、何かの偶然だろうか?それともきっちりと計画されたことなのだろうか、気になるところである。でもこの作品映像見る限りテキサスって言うよりかはニューメキシコで撮影されてるような感じがする。ジョーンズと言えば日本では今でも流れている大人気缶コーヒーのCMで有名だろう。彼が宇宙人役で、地球人の生活を観察すると言う設定で社会批判を言っているようなCMになっているのだが、確かロサンゼルスで撮影されていて、日本から何十人もスタッフがセットと一緒に来て、毎回撮影しているようだが、ジョーンズは私が日本に行けば、旅費も安いしそっちの方が理にかなっていると言っているが、どうしても日本側がロサンゼルスに来てしまうとインタビューで言っていたことをふと思い出した。

この映画何が面白いかって言うと、スリラーと言うエンタテイメントのスタイルをとっている中に死についての皮肉めいた隠喩や哲学が含まれていることだ。簡単に言えば暴力が作り出すものはさらなる暴力と言うことで、野蛮な品性下劣な映画が嫌いな方でも、本作を見れば、変わりゆく80年代のテキサスを舞台にしたウェスタン映画だとわかる。それに原作がアメリカと言うことで、アメリカ文化の中に位置するテーマだったり、属するものがあると思うのだが、主人公がヨーロッパ(スペイン)の役者が殺人鬼として登場するのも面白いと思った。そこが画期的な所のワンポイントだ。アメリカになじまない得体の知れない他民族が、テキサス州を舞台に殺人を繰り返すと言うのは、なかなか怖く風変わりで別の宇宙を見ているかのようで面白い解釈だなと思う。

それにしてもこの作品を見て、みんなはどう思っただろうか。目の前に大金の入ったカバンを見つけて、これを自分のものにしてしまえば、絶対に悪い出来事が後から追っかけてくる事はその場でわかるけど、この大金を今逃せば今日寝床に入ったときに、必ず夢に出てきてしまう。そして翌朝、必ず後悔すると言う気持ちになってしまう。後先考えないのは人間の本能の1つで、このバックを盗めば大変なことになると分かっていながらも瞬時に冷静な行動を出せないのが人間である。本作で、モスが大金を取り、悪循環の歯車が始まってしまうのも、運命の法則の1つだろう。まさにコーエン兄弟が持つ世界観の表れだ。犯罪とわかっていながらも、大金を目の前にしたら、高級な肉を目の前に置かれた犬の気持ちと同様になる。コーエン兄弟は、ずさんな人間の運命を描くのが好きだなぁ。

そういえば主演の1人のジョシュ・ブローリンは、当時制作中だったロバート・ロドリゲス監督、制作タランティーノの「プラネット・テラー」の撮影中にオーディションビデオを、タランティーノたちが撮ってくれて、それでこの作品に出演が決まったと言っていた。さて、ここからは私個人が印象的に残ったシーンを話したい。まずは、冒頭の保安官を殺す下りである。先ほども言ったが、あの画面面いっぱいに映るあのバルデムの顔芸である。しかも手錠の鎖で首を絞めている分、出血が生々しく出て、公保安官の息絶える姿を真っ正面から固定ショットで少し捉えてからのバルデムの深呼吸する顔のズームがまた何とも言えない恐怖を与えている。そこから、ジョシュ・ブローリン演じるモスが死体だらけの荒野(メキシコ国境沿い)にやってきて、死んでいる犬、人々を静かにとらえる血なまぐさい惨劇の乾いた地のシークエンスも凄い。そして、美しい風光明媚な映像とともに、緊張感あふれる追撃と逃亡劇、犬までが川を泳いで追っていくあのシュールな人間と犬の水泳競走を見せられ、金を見つけた場所に再度戻ってきたら生き残っていた唯一の男が、車の中で誰かに射殺されたかのように死体になっている姿を発見して一気に空気が変わるあの夜の国境沿いが何とも言えない怖さである。

そこからカットが変わり、シガーがガソリンスタンドやってきて、そこの店主に居丈高に絡む場面の緊張感と胸くそ悪さがたまらない。あの質問から尋問に変わっていき、最終的には…。あの時のバルデムの威圧感、ヤバいほどに惚れる。そのコインゲームで殺人を楽しむ、あの怖さ、ヤバい。見てるこっちが胸焼けしそうな、ドキドキ感が半端ない。そこからモーテルにたどり着き、金のありかを探すシガーがブーツを脱いで靴下になり、モーテルの外を歩き、空気銃でマフィア的な人物たちを殺すシーンも圧倒的だが、バスルームに倒れた男が、目をパチパチしているシーンは、よくこの場面オッケーになったなと思う。それからついに居場所を突き止めて異変を感じたモスが、拳銃を手に持ちベッドに座り静寂の中の互いの緊張感あふれる潜み合いが、また強烈に緊迫する。そんで場所が野外戦になり、巧妙な互いの作戦をぶつけて一対ーの銃撃戦をするシーンも音楽なしでここまで迫力に見せているのはすごい。

重症を負ったモスが夜道を歩いていると、若者3人に出会い、お金と上着を交換してくれって言う場面で、ビールもくれと言ったらいくらで?と若者の1人が言って、もう1人がただでやれよと空気を読んで言うシーン案外好き。それからシガーが、足を手当てするために、薬局によるんだけど、周りの人たちの気を引く為に、車をガソリンに染み込ませた布切れで、ライターを使いに爆発させて、のうのうとレジ向こうの薬棚で注射器などを掻っ払うのも笑える。あーなるほど、こういうやり方があるかと。その後モーテルで、自分で治療するシーンはグロテスク。それとウディ・ハレルソン演じるカーソンとシガーの対面でのシガーの気狂いぶりは凄まじい。長々と書いたが、最後に、このラストシーンは様々な議論が呼ぶと思う。人それぞれの解釈があると思う。

殺し屋はエイリアンなのか、死神なのか、得体の知れない人間だったのか、なぜ唐突に幕が終わるのか、なぜいつの間にか〇〇が〇〇されてしまっているのか。あのクライマックス付近の家で鉢合わせする〇〇と〇〇、出てくる〇〇は果たして〇〇を〇〇したのかと言う悲観的、宿命論的な世界観が最後に提示されて非常に夢物語だったかの様に唐突の幕閉じである。これはローチ監督の「ケス」同様の嫌な幕引きだ。しかしながら怒涛のごとく余韻が襲いかかってくる。シガーの過去背景が全く明かされず、どのような形であの殺人者がこの世に生まれたのか、それらを一切提示しない。道徳的な意味でも、この災難とも言える殺し屋が引き起こす不条理な死…。不条理に直面する人間の運命劇を展開した作品の中では、ダントツと言っていいほど面白い。これをまだ見ていない人はぜひ見るべきだ。
Jeffrey

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