泥酔した状態で鑑賞していたならば、爆笑しながら星5をつけていたのかもしれないが、うっかり冷静に真顔で観てしまったので、星の評価は控える。すなわち、「酔ってこそ観られるべき映画」だ。
ソ連のドタバタ・コメディ映画といえば言わずとしれたレオニード・ガイダイの『シューリクの冒険』シリーズだが、この『Не может быть!』は '75年と比較的後期の《ガイダイらしい演出》がかなり固まってきて、中堅感というか、いわゆる《型》ができてきた頃の作品と言えよう。
相変わらず──ここに全芸術精神を費やしているのではと思われるほどの──こだわったオープニングタイトルでは、アヴァンギャルド=ジャズに乗せて美しくレタリングされたロシア語のクレジットが、ロシア構成主義的なコンポジションで演出される。
唐突に映し出される『Преступление и наказание』の文字、つまり『罪と罰』というタイトルは、言うまでもなくドストエフスキーの援用であり、ドタバタ・コメディにシリアスな名作のタイトルを持ってくることですでにそれが「ギャグである」ことが明示的に演出されるとともに、これがオムニバス形式の複数部作品であることが示唆される。
さて、本編の話をしよう。『罪と罰』では、都会なのか田舎なのかよくわからない、中途半端な《作り物くささ》のある町(村?)でのあれやこれやが描かれ、そのあまりにも《演劇的な》印象が、映画のタイトルである『Не может быть!』つまり "It is impossible!" をメタ的に表現・象徴しているのでは、と勝手に深読みした。
理由もわからず警察に連れていかれる夫に対して、同じく理由もわからないままとりあえず急いで準備をする妻。ガイダイの特徴である早回しでのコミカルさの演出は早速ここでなされる。要は、当然の帰結としてその夫は決して罪を犯して捕まったわけではないのに、数年刑務所に入ることになったのだろう、と勝手に勘違いした周りの人々が、翻弄されて勝手に盛り上がるというだけのコメディである。無駄に長尺な着替えシーン、追いかけ回される豚。《ビールは人間をダメにしない、ダメにするのは水なのだ》という意味ありげでおそらく意味のない何か《プロパガンダ風》な文句。一度転んだら起き上がれないほど太った女。と、まあ『シューリクの冒険』シリーズと通底した数々の要素とその表現技法で、とにかくずっとくだらない(これは褒め言葉だ)わけだが、ソ連映画をともに楽しめる友人がいるならば、ウォトカを飲みながら楽しむが良かろう。
3部作のうちの2作品目である『Забавное приключение(楽しき冒険)』では、偶然にも3組の夫婦がダブル不倫しあっていて、結果的にそれが全員にバレるというストーリィ。3作品目の『Свадебное происшествие(結婚式事件)』では──
と書こうとしたところで、もはやこれ以上説明は不要であること、すなわちとにかくこの映画は、ストーリィやテーマ、史的背景といったことは何も考えずに、ガイダイの《ソ連的ドタバタ・コメディ》の在りようを全面的に享受する泥酔状態で臨むべし、以外に伝え得ることがないと判断してしまったので、筆を擱こう。とにかく「いつもの常連俳優たちが、いつもどおり騒いでいる、楽しい映画」だ。