村山

東京オリンピック2017 都営霞ケ丘アパートの村山のレビュー・感想・評価

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この映画を拝見するまでは、都営霞ヶ丘アパートのことは一切知らなかった。立ち退きを要求されて応じていたことも何一つ。それはおそらく報じられた回数が圧倒的に少ないからだろう。報じられていないのかもしれない。

オリンピックも沖縄の辺野古移設問題も国葬もそうなのだけれど、反対意見は隅に置かれ、時間ばかりが経つ。そして当日が近づけば近づくほど「まだ言ってるんですか」と突き放される。まだ言ってるもなにも、明確な説明をもらってないから言っているのにも関わらず。飲み会のなんだかノリの悪いヤツみたいな扱いで受け流されていく。

映像は固定カメラで淡々と現実を映し出し、躍動感はまるでない。
どこか冷めた映像。だからこそ、私達の知り得ない暮しの息吹が聞こえてくるようだった。ここに確かに、暮している人々がいる。その暮しを、およそ1ヶ月の狂騒のために黙殺した。オリンピックに救われなかった人がいたのだ。

国益のためには仕方がなかったことだろうか。
この問いを見つめ直さなければ、「国益のために」は、益々世にはばかるだろう。
村山

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