東京オリンピック2017 都営霞ケ丘アパートの作品情報・感想・評価

「東京オリンピック2017 都営霞ケ丘アパート」に投稿された感想・評価

どらみ

どらみの感想・評価

4.0
コロナ禍で無理矢理開催されたオリンピックの為に
強制退去させられた住民の平均年齢65歳以上の高齢者団地
都営霞ヶ丘アパート
(中には先のオリンピックで商売をしていた店と住居を奪われ2度目の老人もいる、酷すぎる!!)
単身高齢者が多い為
永い時間をかけて大切に築かれた
相互扶助の温かい生活が
一時の祭りの為に踏みにじられた事を
知り考える時
弱者が数の論理に負けるこうした構図は
何度も繰り返され続けている…
劇場で鑑賞

五輪の影で消された霞ヶ丘アパートに住む住人たちに密着したドキュメンタリー
ナレーションやインタビューが無く、住人たちの日常や生の声をカメラを感じさせない撮り方で記録していく
国や都が如何に市井の人々の声を無視してきたか
酷い話ですよ

都のやり方がちょっと信じられないぐらい酷くて開いた口が塞がらない
汚くてみっともないから撤去しますって
ラグビーだ五輪だって言っておいて本音は邪魔だからの一言に尽きるくせに
何から何まで無責任過ぎる
しかもこれコロナ禍前の話だからね!
ぶみ

ぶみの感想・評価

3.0
青山真也監督によるドキュメンタリー。
1964年、オリンピック開発のために、国立競技場に隣接して建てられた都営霞ヶ丘アパートが、今度は2020東京オリンピックのために移転が決定、そこに住む人々の姿を追う。
映像は、アパートに住む市井の人々を、インタビューなし、定点カメラのような演出で映し出し、ナレーションや説明するテロップもないため、通常のドキュメンタリーとして観ると、正直説明不足な感は否めないし、面白いものでもない。
ただ、だからこそ、そこに住む人々の、退去が目前に迫りつつも日常生活を送る息遣いが聴こえてくるものとなっている。
オリンピックに限らず、鉄道を敷設したり、道路を通したり、はたまた都市計画を推進したりといった華やかな舞台の裏には、必ず土地の収用や建物の移転等の事象が生じているのが世の常。
行政側は法に則って移転を迫り、移転補償を算出することとなるし、立退を迫られる側は、物理的にも精神的にも相当な苦痛を強いられることとなるため、お互いどこで折り合いをつけるかが、いつの時代も求められるもの。
そんな裏舞台を、立退を迫られる側の視点から如実に可視化させた一作。

最終的には強制執行。
確かに切り込んだ内容ではなかったけど、五輪の裏側で確かに"ここに生活が在った"という記録(記憶)として重要なフィルムに思えた。
yuka

yukaの感想・評価

3.8
日が暮れたあと、ぽつぽつと明かりの灯るアパートを外から映したショットが好き。
そこに確かにあった人々の暮らし、人生、それをこうして映像に残してくれたことに感謝したい。
五輪があれば、その華やかな祭典の裏側に必ずこうした立ち退きの問題がある。それはどこの国も同じ。開催地毎回アテネじゃダメかしら、、?
おさる

おさるの感想・評価

2.8
東京オリンピック開催に賛同はしなかったが、この映画にその闇を描く力はなかったと思う。
残酷な言い方をすると、各地の公営住宅では老朽化や都市計画をもとに立ち退き
、住みかえを余儀なくされる事案はあるのであり、その中には「住み続けたかった。」「余生を最後までここにいたかった。」という人はある。
この映画では、オリンピックが開催される国立競技場の近くだから、どうも建て替えることになったようだ、ということはわかるが、その建て替え決定をする恣意性、住民への説明の不備、補償や転居への支援などについては、観客には判然としないまま、大変そうな引越しに向かう場面が大部分を占める。
都市が動きを見せる時に、犠牲を払う人があることに心は痛めるが、この映画ではストーリー性があまりにも見えず、背景の語りが不十分で、今回のオリンピックの影の部分を語り継ぐ材料にはならない作品だったと思う。
1964年東京オリンピックを機に建設された公営住宅の都営霞ヶ丘アパートは2020年東京オリンピックのために取り壊されることになった。住んでいた住人は立ち退きを余儀なくされた。中には64年のオリンピックの際に立ち退きを命じられ、この霞ヶ丘アパートに引っ越してきた人もいる。つまり二度のオリンピックで住む場所を追われたということだ。
このドキュメンタリー映画は、アパートに住む人々の生活を淡々と、少し引いたショットで移す。住人のほとんどは何十年とそこに住んだ高齢者であり、彼らの身体に刻まれた皺や染みと同様に、経年によって建物や部屋についた染みや傷は、彼らがそこで過ごした年月の証だ。カメラは建物と人という単純な地と図の関係に囚われず、建物と人を等価に捉える。私が鑑賞していた際も人だけでなく大量のモノが蓄積した部屋の細部、例えばダンボールに書かれた文字や部屋の奥にあるドラムセットといったモノをしばしば注視していた。
物と人を等価に撮れる作家はそう多くはない。フィックスを多用する本作の青山監督は、手持ちカメラを特徴とする中国の王兵監督とはまた異なる手法で人と物を等価に捉える。
花火で建物が照らされるショットや暗い部屋でテレビを見つめる住人を捉えたショットはそこにカメラがあることを忘れられる程に美しいが、霞ヶ丘アパートをテレビ局が取材する様子を捉えたショットを挟むことによって観客にカメラの存在を思い出させ、映像美による陶酔から覚めさせる。
建物や部屋にある生活の跡は住人が長い時間をかけて自らの生活を最適化し、地域コミュニティを形成してきた軌跡でもある。上映後に監督のトークショーがあり、立ち退き後に亡くなった元住人の方も多くあったという。土地とコミュニティから引き剥がされた人間の脆さと、今回の開発の暴力性を意識させられた。
mingo

mingoの感想・評価

3.8
国の公式で放映すべき映画である。
2015年末から2017年までの引っ越しで23人が亡くなっている。


青山真也×元住人神野さんトークメモ

2度のオリンピックで5回動か「された」
。87歳と9ヶ月。2014-2017年記録。当時83.4歳あたり。2012年国立競技場建て替えで通達あり、昭和20年代からお店をやっていた、お互いの生活を支えあっていた。八百屋の横でタバコ屋をやっていた。昭和24年からやっと審査を通って売れ売れ言われて吸ってなかったのに80歳になってはじめた。いつかは小学生53人いたのに映画の中では3人しかいない。1933年生まれ、43年に戦争のプロパガンダとしての学徒動員を観ている。雨降っているのに国立競技場から8列応対で綺麗に出てきて、子供ながらに勇ましいなと思った。
ジョー

ジョーの感想・評価

3.9
 どこで生まれてどんな経歴でどんな人生を送って来たか。
 それらをいっさい明かさないドキュメンタリー。
 本作は、ドキュメンタリーの肝ともいうべき個人の歴史を、見事にそぎ落とす。
 都営霞ヶ丘アパートの住民の現実は、国立競技場リニューアルのための立ち退きだけ。
 その現実だけを追う。東京オリンピックという「国策」にのまれながら。

 立ち退きに最後まで抵抗したのは、1人暮らしの後期高齢者ばかり。
 カメラが映し出すのは、彼らの部屋に散乱する物、物、物。
 加齢によって、収容能力が失われているのだ。
 老いという現実で、過去の自分は霞んでゆき、今に至る物たちだけが蓄積していく。

 ナレーションやテロップがない分、本作には解説本が1300円で売っていた。
 その冊子を買って、本日舞台挨拶をした監督のサイン会に出席。
 彼は本作を淡々と語り、住民たちの個人情報はいっさい語らない。

 個人的には、アパートの商店街で最後に残った果物や野菜を売っている店が印象に残った。
 時代は移り変わる。変われない人々もいる。変わらないのではない。変われないのだと思う。

 今までどう生きてきたかではなく、今からどう生きるかということか。そこには少なくとも未来は用意されているということか。
 ナレーションやテロップが必要のない理由(わけ)が、ほのかに浮かび上がるような気がした。
Shun

Shunの感想・評価

4.0
淡々と切り取られる生活が生々しく現実を記録し、主人格不在のまま流れる時間がオリンピックによって社会的弱者の立場へ強いられる人々をアパート=老人コミュニティとしてスクリーンに映し出される。現代と今後の日本の姿を象徴的に表した作品。
青山監督の視点とドキュメンタリーとしての被写体との距離が、作品全体を通して伝わる作品でした。

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