するめまんじゅう

ディア・エヴァン・ハンセンのするめまんじゅうのレビュー・感想・評価

5.0
感情の高ぶりを台詞で表現しきれなくなったとき、台詞が歌になる。
ミュージカルを観慣れていな人はこの原則を頭に入れた上で鑑賞すると観やすくなるかもしれません。

この映画は観るだけなら難しくありません。ストーリーラインを追い、楽曲を聴き楽しめます。パセック&ポールの曲は本当に素晴らしいです。
ただし、レビューや評価をしようと思うと一筋縄ではいかないので注意が必要です。

良い作品の登場人物は全員が行動にサブテキスト(行動の真意、裏の思考、台詞を発する本当の理由)を持ちます。
なまじ嘘が主軸であり、精神疾患の患者が登場人物に居るのでサブテキストは結構複雑に入り組みます。
ややこしく書きましたが、つまり台詞を台詞通りに受け取ると矛盾が出るということです。

この物語はフィクションではありますが、おとぎ話ではありません。
現実をデフォルメして描いています。つまり、すべての登場人物に欠陥があります。
全員が「何者かになろう」して、もがいています。
そして、「誰かの死を悼む」時、人は「優しい人間」のレッテルを得ます。
現実の私達も、例えば芸能人の死を悲しむことで他人から「元気を出して」と優しくしてもらえますよね。
ひょっとすると、これを観たあなたは自分の中にある嫌な部分を鏡写しにされたのかもしれません。

コナーがなぜ自ら命を断ったのか劇中では描写されません。
なぜなら、コナーは誰にも話せなかったからです。誰もコナーの苦しみを知らなかった。だから、劇中で説明する方法が無いんですね。

終わり方がスッキリしないから低評価、というのはあまりにも乱暴です。
この映画はスッキリするために作られていないからです。
この映画にはヒーローもヴィランも登場しません。登場人物全員が加害者で全員が被害者です。
作品をレビューする際に気を付けなければならないのは、自分の感覚を信用しすぎてはいけません。また、嫌な気分にさせられたからといって、作品に低評価を付けてもいけません。嫌な気分にさせることが目的の作品の可能性を考えて、なぜこの作品は自分を嫌な気分にさせたのだろうと考えるべきです。
少なくとも全く気分が動かなかった作品に比べ、嫌な気分にさせる力が作品にあったことを評価しなければいけません。

もしかすると鑑賞してる最中「は?」と思う展開があるかもしれません。
しかし、プロットに破綻はありません。
あなたが感じたほとんどの疑問の答えは作中に提示されています。
「なぜエヴァンの嘘にみんな引っかかるのか」
エヴァンに文章を書く才能があるからです。
「終盤精神疾患の症状が少なくなるのはなぜか」
病院の先生に言われた「人と関わり、人から逃げない」という課題を嘘を使うことでクリアしているからです。
「わたしがYou Will Be Foundに感動できないのはなぜか」
この曲が嘘によって作られたアンセムだからです。

感動曲とする人もいるYou Will Be Foundですが、直訳すると「あなたは見つけられるだろう」となります。どんなに孤独でも、いつか誰かが来てくれる、という意味に取れます。
ただし、もう一場面「見つけられる」がありましたね。終盤、マーフィー家が叩かれる所です。
彼らはネットによって「見つけられ」ゾーイは電話番号を「見つけられ」ます。(ちなみに舞台版では住所が特定されます)
あんないい歌にも、裏の面があるあたり一筋縄ではいきませんね。

エヴァンは、シンシアは、ハイディは、アラナは、このようにするべきだったのではないか、という思考は若干ナンセンスを含みます。
観客は監督、脚本家、プロデューサーが完璧に完成したと信じている作品を観て、どのように感じるかを論じるべきです。登場人物はこうするべきだったのではなく、こうせざるを得なかったと考えてあげなければなりません。

現代が舞台・馴染み深いSNSという装置・耳に心地よく楽しい音楽のおかげで一見わかりやすい分、初めて観終わるとすっごいモヤモヤが残ると思います。
そのモヤモヤこそがこの映画が最も大切にしているものなので、大事に持って帰ってください。
可能なら感想文を書いたり、観た人と話し合ったりすると、ひょっとすると映画を観る以上に楽しいかもしれません。

ちなみに、脚本のスティーブン・レヴェンソンはNetflixで配信中のチック、チック、ブーンの脚本も手掛けています。
こちらも面白いのですが、まずミュージカルか映画のRENTを観ておいた方が楽しめます。
つくづく複雑な脚本を書く方だなと思います。

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