スローボート

ジャズ・ロフトのスローボートのレビュー・感想・評価

ジャズ・ロフト(2015年製作の映画)
4.3
一九五四年、戦場カメラマンとして活動したあと、雑誌「LIFE」を中心に意欲的な作品を発表してきた ユージン・スミス(1918-1978)は「LIFE」誌編集部と喧嘩別れをして関係を絶ちました。
三年後の五七年、妻のカーメンと四人の子供たちと別居したカメラマンはニューヨーク、マンハッタンのロフトに移り住みます。家族を養えなくなるほどの困窮に家庭の不和が重なった結果の移住でした。
この花屋の問屋街に位置する五階建てのロフトという空間はカメラマンの生活と仕事の場でしたが、たちまちジャズ・ミュージシャンのジャムセッションやリハーサルの場となりました。ここでユージンは写真家、フォト・エッセイストに加え、部屋中に録音用の配線を張り巡らせオープンリールのデッキでジャズを録音する記録者となります。八年間にわたったシャッターと録音により四万枚近いミュージシャンたちの写真と四千時間にわたるジャムセッションのテープが遺されました。
サラ・フィシュコ監督の本作はこれをもとにしたドキュメンタリー映画で、ここからはミュージシャンたちの表情や演奏風景の写真とテープに記録された音楽が一体となってジャズの魅力と熱気が迫ってきます。この魅力と熱気はシャッターを切る姿や現像に没頭するユージンの姿に通じています。
多くのミュージシャンたちのなかにはわたしの大好きなズート・シムズがいる、名演として知られるタウンホールコンサートに向けてホール・オーヴァントンとリハーサルや打ち合わせをするセロニアス・モンクがいる、ジミー・ジュフリーがいる(「真夏の夜のジャズ」が甦ってきました)、またこの映画のためにインタビュー出演したなかにはカーラ・ブレイが、あのビル・クロウがいます。(「あの」は村上春樹訳『さよなら、バードランド』の著者の意味です)
そうしてここでは主に「MINAMATA ミナマタ」以前のユージン・スミスの人生が辿られ、 思い出とパーソナリティが友人、知人、息子、娘たちにより語られ、作品の特質が解き明かされます。フォト界のレンブラントをめざしていた彼のモノクロ写真群は当時の現像技術が駆使され、光と影の具合が絶妙な写真をスクリーンでみているとなんだか贅沢な気分になってきます。「真っ暗闇のような黒とまっさらな白」のメリハリのあるニューヨークの街頭風景にはノスタルジックな哀歓が漂っています。
一九七0年八月ユージン・スミスはマンハッタンのロフトでアイリーン・スプレイグ(のちに妻となるアイリーン・美緒子・スミス)と出会いました。富士フィルムのコマーシャルでのユージンへのインタビューで、アイリーンが通訳を務めました。「MINAMATA ミナマタ」はここからはじまります。