マーフィー

梅切らぬバカのマーフィーのネタバレレビュー・内容・結末

梅切らぬバカ(2021年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

2021/12/11鑑賞。

公開前から話題になっていた作品とのこと。
なんとか映画館での上映期間中に観れました。

塚地武雅の演技が素晴らしい。
裸の大将で山下清を演じた塚地なので、いい演技をするんだろうなとは思っていたけど、期待以上でした。
目線、常同行動など、自閉症の特性を見事に演じきっていると思う。
加賀まりこの演技も良かった。
障害を持つ子の親として、行列のできる占い師として人にズバッと言う人。忠さんへの愛に溢れた姿。
どれも素晴らしい。
渡辺いっけい、林家正蔵と、個人的に久しぶりに見る役者さんがいたのも嬉しかった。

忠さんの純粋で自由奔放な姿に皆の心が開かれていく…というよくある美談ではなく、
確かに心の交流は一部ではあるけど、地域の人の厳しい目も描かれており、いわゆる単純な感動ポルノとは少し違った作品になっています。
最後まで描ききらないことで、その後について考える余地もあって、いいなと思います。
めっちゃいい話だったからというよりは、もっとキャストやスタッフの考えていることを知りたい、と思ってパンフレットを購入しました。
結果的に忠さんを見事に演じきった塚地武雅の表情や佇まいも写真で見ることができてよかったです。

話としては良かったです。
印象的なシーンごとに思ったことを。

エコラリアがたまたま会話の返事として成立しちゃう感じとか、
逆に会話として成立していないように見える「お嫁さん」という返答に対して意味を考えていく感じとか、
良くも悪くも音声のコミュニケーションが全てになっている感じ、よくあると思います。

GHでの生活がストレスになっていることを爪噛みの行動で表すのも、見事だなと思った。
めっちゃわかりやすい行動で示す人もいれば、
小さな変化に表れる人もいるので。
そこを職員が気づく描写がないのは残念ですが、
珠子が気づいていた部分でさすがだなと思う。

そして爪切りのシーンのセリフは忠さんが梅の木を着ることを決断する布石かな?と思ったけどそうではなかった。
パンフレットによると、元々ラストは梅の木がなくなるラストだったそうなので、そこに向かう布石だったのかもしれないと想像したり。

山田家で里村父と忠さんが食事をするシーン。
里村父が忠さんに歩み寄ったことを象徴するシーンですが、
個人的には里村父が自己紹介をしたことよりも、
「ビールを忠さんに注ぐ」という行為が
忠さんに歩み寄ったことを最も象徴的に表しているなと思いました。
はじめは関わらないようにしていた、いわば忠さんと「人間としての関係」を持つつもりがなかった里村父が
「ビールを注ぐ」という行為をすることで1人の関係を持つ相手として認めていることが現れている気がしました。

忠さん以外のご利用者役の方も演技が素晴らしいですね。
それぞれ違う特性が垣間見えてすごいと思います。



あと以下ものすごーく個人的な思いが強いので、
感想とは切り離して記入。



作業所とGHを運営している組織、
NPOか社会福祉法人かはわからなかったけど、
法人の専門職としての詰めが甘いのがとても気になった。

まずGHが運営されてから反対運動が起きている点。
普通は立ち上げ前に住民への説明をきちんと行って、地域の理解を得てから始まることが多いし、その段階で反対が多く事業が頓挫することも多い。
その段階での理解をしてもらえていない?そもそも説明すらしていない?というような感じがしてならない。
説明会のシーン「地価が下がるのが心配」という意見は、大体立ち上げの段階の反対意見だろうに。
断行して運営が始まってから住民が反対しだした…みたいな感じが否めない。

また忠さんがGHに入居して、朝時間通りにトイレに行けなくて困るシーン、
まさに共同生活の戸惑いやストレスを象徴するシーンかもしれないけど、
GH入居前のアセスメントが足りなすぎるのではないかと思ってしまう。
忠さんの目立った特性である「時間へのこだわり」については、母親へのアセスメントで事前にわかるはずだし、
何より同じ法人の作業所で働いているご利用者なのだから、そのような特性も理解できているはず。
明らかにインフォーマルなアセスメントが不足している。

さらに劇中で職員が知ることはないが、地域住民との大きなトラブルになったポニー脱走騒動も、
そもそものきっかけは、支援員のリスク管理の甘さ(計画性のないその場での判断による飲み物の不足)にあり、
地域住民の反感を買っていることも、反対運動激化の原因も、法人の詰めの甘さにあると思う。
そして役所の協力を得られず怒る。一体なんなんだろうと思う。


こうして劇中の地域住民の無理解とトラブルの大半が、法人によって引き起こされている感が否めなく、
「忠さんへの無理解」「障害者への無理解」というより、「法人の支援の質の低さ」の側面を強く感じてしまった。

忠さんのGH移行は失敗し、珠子は忠さんと「離れて暮らすこと」に対してどういう気持を持ったのか
そのことを思うと少し悲しい気持ちにもなる。

作家でダウン症の弟と認知症の祖母をもつ岸田奈美さんは、
愛するということは「自分も相手も心の余裕を持てる距離を探るということ」と言っている。
障害者の8050問題に直面している珠子にとって、GH移行の失敗経験はどのような意味を持つのか。
「やっぱり私が忠さんと暮らしていく」という思いを強くして、親子共倒れなんて未来は嫌だなと思う。
強い珠子だから、そんなことではへこたれないのだろうか…?
私は少しずつ理解を始めた里村家をはじめ、地域に暮らす人々が忠さんのことを理解してくれる理想の未来を想像したくて仕方がない。
美談で終わらせない、色々な想像をさせてくれるラストだからこそ、色々な部分に考えを巡らせることができた。


ちなみに、劇中のGHでは自閉症の特性に配慮した個別支援はほぼなく、むしろ「皆いっしょに」を大切にしている。
これは現実でも未だに全国的な課題(そもそも課題なのかどうかすら議論の余地がある)で、「自閉症の特性に配慮した個別支援」そのものが理解されていない組織が多く、このような状況も実際にある。
共同生活はこのような形がすべてではないということは、私が言ったところでアレなのだが、誰かに届けばという思いで記しておこうと思う。
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