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わたしは最悪。のkotaroのレビュー・感想・評価

わたしは最悪。(2021年製作の映画)
4.4
恋人と元恋人との愛や別れ、あるいはキャリアと結婚・出産などのライフストーリーについて思い悩む30代前後の人たちに刺さる(少なくとも自分はその年齢で、刺さりました)良質なヒューマン・ドラマでもありながら、シリアスになりすぎない映画『わたしは最悪』。
大人になることについて自らの認識のあり方を揺さぶられながらも、時折挟まれるセンス抜群のユーモアや独創的な演出で魅せる重くなり過ぎない「本当の青春の物語byヨアキム・トリアー」。

概要だけを見ると、どことなく野心と諦念が入り混じったやり場のない感情を抱えながら生きる30代女性の毎日を描いた等身大のヒューマンドラマ作品のように感じるし(『フランシス・ハ』にも近いような)、事実、大筋はそのように進み、主人公のライフストーリーについて静かに滑稽に、そして深く心に響かせる切なさを持って描いていく。
一方で"messy, jazzy formalism" と監督が呼ぶ手法で描かれたこの作品は、独特なユーモアと演出がスパイスのように効いたオリジナリティ溢れた作品になっている。

物語中盤、主人公の感情が恋人と浮気相手との間で揺れ動き、その感情の揺れが最高潮に達した時、主人公と浮気相手の男を除き時間が止まる。
街の住人が皆マネキンのように固まり、車も止まった幻想的な舞台装置を背景に繰り広げられるファンタジスティックなラブシーン。
恋をしている主人公の輝きと高まった感情を映画でしかなし得ない手法で素晴らしく魅力的に描いたこのシーンには、魔法にかけられたかのような不思議な感動がある。

『フェリーニのアマルコルド』の綿毛が降る町の美しさ、クストリッツァ作品の人間と動物が繰り広げる祝祭的な空間、『バードマン』のシームレスに虚構世界に移行するあの高揚感、ビー・ガンの長回し撮影が誘う白日夢のような幻想的な世界などなど、映画でしかなしえない/表現しえない、美しく創造性にあふれた、芸術的なショットやシーン。
この、映画でしかなしえない、映画の魔法にかけられたかのような体験が、まさかシンプルなヒューマン・ドラマものだと思っていた『わたしは最悪。』でも得られるとは!

おそらく監督のヨアキム・トリアーは映画は映画だからね、と割り切ってみせる作り手なのでしょう。
映画というフォーマットだからこそできる人工美的なものや、虚構を前提にした美しさ/ないしは強みを理解していて、戦略的にこのシーンを作り上げているような気がしてならないのです。
その大胆さというのか、遊び心というのか、人によって様々な呼び方をするとは思うのですが、映画を見る/作る喜びに向き合う真摯な姿勢が画面越しに存分に伝わってくる感じがたまらず、深く感動しました。
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