仮

アリスとテレスのまぼろし工場の仮のレビュー・感想・評価

2.0
https://note.com/kakkokari_note/n/nf23635334d93

そのまま

私は工場が結構好きなので、刺さるカットも多くて、好きな場面とかもありつつ、でも最終的に自分の中で純粋な「面白い!」が残らなかった。

世界観の説明を全然しないんだよな......。そのせいでキャラクターの考えていることが全然分からない。動きやセリフになかなかついていけない。「お前、やっぱりオスかよ!」と睦実が言う場面なんて、全然睦実の気持ちが理解できなかったし。確か予告でもこのセリフが出てきていて、予告を見た時は性別のない(性別を禁じられた?)世界を描いてジェンダーの方向に切り込んでいくのかと思っていたんですよね。

監督である岡田麿里と登場人物内のキャラクターが重なっているという考察(これはおそらくそうだろう)だったり、実際に起きた事件をモチーフにしているのではないかという考察を読んだが、それが作品自体の価値を上げるかというと私はそうは思わなかった。そういう裏設定のようなものは私自身好きだし、調べることも結構するのだけど、やはり作品単体として評価したいというのはある。というか、作品と現実を結びつけたり、作品と作家を結びつけて語っている感想があまりにも多すぎる気がする。岡田麿里は割と自己を作品の中にガッツリ入れ込むタイプの作家なので仕方ない気もするけれど......。

私がこの映画で1番気に入っていないところは、佐上の描き方だ。そもそも、世界観の説明が希薄だから、あまり世界観を理解できないままに視聴者は佐上の動きを見るのだが、そうなると佐上の言っていることが妄想というか、頭のおかしいやつの発言として捉えかねないんだよな。というか、佐上をああいう頭のおかしい(?)キャラで描く必要性って果たしてあったのかというところから疑問だ。
私は佐上の態度や言動はともかく、思想には共感したし、むしろ佐上の方が正しいとすら感じた。だって、この世界の真実が明るみになったら誰も救われないじゃないか。この世界が虚構で、ずっとこのままだということが明るみになれば全員が一瞬で消えてしまうだろうし、最後に無茶苦茶やってやるか、と考える人たちも必ず出てくる(というか、それを匂わせるセリフとかも出てきていた)。
佐上自身の目的がかなり利己的だったから違和感を持たれてないけど、例えば、同じ世界観で、佐上が街の人々を騙していることに罪悪感を覚えるシーンが入ったり、少女を閉じ込めておくことを後ろめたく感じているシーンが入って、そのうえで街の平和をできるだけ長く続けるために騙していたという設定だとしたら、誰も佐上を否定することはできない。佐上の主張には正当性がある。終わることが確定している世界においても、できるだけ良い終わり方というものがあるだろうし。

私には、佐上のやっていることをこの物語上の設定で上手く否定することができないために、無理やり佐上を頭のおかしいキャラクターとして仕立て上げているように見える。佐上の正当性を否定できないから、頭のおかしいようなキャラクター像にして間違っていると思わせようとしているんじゃないか。主人公たちの行動を肯定させたいがための佐上という、主人公たちにとって都合の良い存在として描かれていたのが残念。

「五実を現実世界に帰してあげたい」ってめちゃくちゃ2人のエゴで、そこは凄く良かった。五実が帰ることによって住んでいる世界は不安定になるし、不安定になるということは自分の存在が消えてしまうリスクが高まるということで、それを良く思わない人の方が圧倒的に多数、ある種セカイ系のような構造になっているのは面白い 本人すら帰るのを嫌がっていたし。

五実と睦実・正宗の関係性は将来の親子ということになるのだが、そう考えると結構攻めたことを作品内では色々とやっている。
例えば、五実が正宗に恋をしている場面(父親に恋をする娘という構図!)や、睦実と正宗のキスを目撃してしまう場面(本来なら気まずい場面だが、正宗に恋をしている五実は嫉妬の感情を抱く)、五実と睦実が別れる場面における睦実のセリフ(恋敵のようなセリフ!)など、関係性を整理して考えればかなり攻めた描写だ。将来の自分の子供に対して言えるセリフでは確実にない。これに関しては見たことが無さすぎて面白いと思っちゃったのだが、絶対気持ち悪いって思う人いるよね〜という場面の数々。
親子愛と恋愛感情が混ざっていて凄く新しいとは思うんだけど、あの世界での睦実たちって、閉じ込められてから少なくとも10年以上は進んでいるんですよね(五実がこの世界に来てから10年間は確実に経過している)。体の成長は止まっているにしろ、時間的にはそのくらい経っているわけで。中学生が言うセリフとしては納得できるんだけど、時間的には20〜30歳くらいの人が言っているセリフだと考えるとかなり微妙なところ。この「体は止まっているが、時間経過はしている場合の精神の成長度合い」に関しては作品内では全く触れられてなかったけど、流石に体が成長していないからといって中学生のままというわけではないだろう。知識は積み重なっていくわけだし。だとすると、遊びの場面だったり、恋をする場面だったりが一気に陳腐に見えてきてしまう。登場人物の感情を理解できない根底には間違いなくこれがある。どの年齢だと思って見ればいいのか分からないのだ。

「変化をしてはいけない」というのがあったので、意識的に変化をしないようにしていたみたいな説明は一応つくんだけど、あまり納得感はない。その説明をするんだったらもっと支配構造を描いたり、管理社会的な雰囲気を漂わせたり、少しでも変化した人間が消えてしまう描写を入れて(園田に関してはもうしばらく時が経ってからのことで、それであれだけ大騒ぎになっているのだから、おそらくああいう風に消えた人物はこれまでにいなかったと推測される)変わることへの恐怖心を描いたりしないと、説明として充分ではない。

父親の日記もかも突然出てきたな。結構油断しているタイミングでかなり重要なものがパッと差し込まれたからびっくりした。これだけじゃないけど、なんか全体的にごちゃごちゃとしていた。
仮