Jeffrey

戦場のピアニストのJeffreyのレビュー・感想・評価

戦場のピアニスト(2002年製作の映画)
4.0
「戦場のピアニスト」

冒頭、1939年、ナチスドイツがポーランドに侵攻した。ワルシャワの放送局で演奏する男、ユダヤ人ゲットーに移住、無差別殺人、強制収容所、1人のドイツ人将校、蜂起、隠れ家、子供、廃墟と化した街。今、ショパンが奏でられる…本作はキャリア40年でついにカンヌの栄誉に輝き、監督自らの原体験を基にして、ロマン・ポランスキーが2002年に仏、独、波、英で合作して、見事にカンヌ国際映画祭最高賞パルムドール賞に輝き、主演のエイドリアン・ブロディがアカデミー賞最優秀主演男優賞受賞し、会場の中でハル・ベリー(前作オスカーを受賞した"チョコレート"の作品の為、彼女が壇上に上がりオスカーを手渡す役目を果たした)に唇にキスをして話題になった映画で、この度久々にBDにて鑑賞したが素晴らしい。ユダヤ系ポーランド人のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの体験記を脚色して映像化しており、第二次世界大戦のワルシャワを舞台にした作品である。それにしてもこの映画ってもともとは回想録で、映画のために書かれたものでは無いから脚本化するのは大変だったんだろうなと思う。様々な事件を再現するためには多くのリサーチが必要だと思うし、それが真実を正確に描くためではなく、アイディアを出すためにとても役に立つものだと思う。

この作品はポーランド文化財団からも受賞されるほど国を挙げての歓迎された作品である。今思えば、「シンドラーのリスト」のようなドイツ人を視点に描かれている全体像を把握できる映画とは違って、迫害されてる側の人間の視点で描いている分、戦争の中身が把握できないような設定になっていることに気づく。それと、ホロコーストで生き残った人間と言うのは生き延びてしまって申し訳ないと言う罪悪感に苦しめられると言うドキュメンタリー(もしくはメイキング映像)を見たことがあるが、やはり同胞がみんな死んでいく中、自分だけ助かってしまったと言うのに申し訳なさがあるのかもしれない。生き延びて良かったと言う安堵もある中、頭の中にこびりつく同胞の悲しみの表情だったり声が走馬灯のように蘇り落ち着かない人生を歩むんだろうなと思ってしまう。

今回もポランスキーの作品を短編から徐々に立て続けに見てきたので、色々と気づいたことがあるのだが、脅迫観念的な持ち主である事は知っていたが、今思えば彼の「水の中のナイフ」に始まり「テナント」だったりいろいろな作品の舞台がそういった閉じ込められた小さな空間であることに気がつく。ヨットの中だったりテントの中だったり一軒家だったり、アパートの中だったりそういったものである。だから本作も非常にそういった空間を駆使しながら主人公が耐え忍んでいた。話は変わって、主演のエイドリアン・ブロディは確か本作品の当時アカデミー賞受賞した最も最年少として受賞したと言うことを記憶しているのだが、後にもっと最年少で受賞している役者も今となっては増えただろうな。ブロディは確か当時29歳あたりだったかな。前置きはこの辺にして物語を話したいと思う。

さて、物語は1939年9月、ナチスドイツがポーランドに侵攻した日、ウワディクことウワディスワフ・シュピルマンは仕事場であるワルシャワのラジオ局でショパンを演奏していた。爆撃から逃れる途中、彼は親友の妹ドロタに声をかけられる。自宅では老父母と妹のハリーナとレギーナ、弟のヘンリクが英仏の対独宣戦を告げるラジオニュースに聞き入っている。だが彼らの希望はほどなく打ち砕かれた。街はドイツ軍に占領され、ユダヤ人への様々な締め付けが始まった。やがてユダヤ人に対してゲットーへの移住命令が出され、40年10月31日、シュピルマン一家も住み慣れた我が家を後にする。見送りに来ていたドロタに別れを告げるウワディク。彼はゲットー内のカフェでピアノ弾きの仕事を得る。ここでは彼の演奏に聞き入る客はいない。ある時など、金貨が本物かどうか確かめようとする客から演奏を止めてくれと言われたほどだ。だがそんなことは周囲で起き始めたドイツ兵とユダヤ人警察による人間狩りや虐殺行為に比べればささいなことでしかなかった。

物資を密輸しようとした少年が殴り殺されたり、隣人一家が皆殺しにあったりするのを彼は凍るような思いで目にする。ヘンリクが狩りにあうと、彼はユダヤ人警察に加わっていた裕福で鼻持ちならない友人ヘラーに頭を下げ、弟を解放してもらう。42年、ドイツ人の雇用証明のないものは全員収容所へうつされると言う噂が広まる。ウワディクは地下活動家のマヨレクに頼み、家族のためにドイツ人が監督する出荷センターの職を得る。だがそれもー時の時間稼ぎにしかならなかった。8月16日、シュピルマン一家を含む大勢のユダヤ人が鉄道路線際の収容地ウムシュラークプラッツに集められる。やがて人々が列車に向かって移動を始めた時、誰かが不意にウワディクの肩を掴んで列から引き離した。ヘラーだった。こうしてウワディクひとりが死の収容所行きを免れる。ウワディクはゲットーの壁を壊す労働グループに加わるが、ピアニストの彼に体力労働は過酷だった。役に立たないものは直ちに選別され、銃殺されるか、収容所送りである。仲間が彼を楽な仕事に回してくれたが、安心はできない。彼は蜂起の準備を進めているマヨレクに頼み、旧知のポーランド人歌手ヤニナに連絡をとってもらうことにする。

43年2月のある晩、ついに彼はゲットー脱出を決行する。ヤニナの手引きで隠れ屋へ移った彼は、やがて春が訪れる頃、アパートの窓からワルシャワゲットー蜂起とその悲劇的結末を目撃する。ヤニナが捕らわれた後も彼はアパートにとどまり、わずかな食料で食いつないでひっそり暮らす続けた。だが冬のある日、とうとう彼の存在が隣人に知られ、アパートにいられなくなってしまう。万が一の時のためにと教えられていた住所を尋ねると、驚いたことにそこにはドロタが夫と共に暮らしていた。事情を知った夫婦は彼を新たな隠れ屋に案内する。夏になる頃、実家へ行くとドロタが別れをつげに来る。その直後、ワルシャワ蜂起が始まり、街は戦場となった。瓦礫の山と化した街で必死に生き延びるウワディク。彼は悪夢のような数ヶ月を、想像上のピアノに向かうことでかろうじて乗り切るが、ある晩とうとう1人のドイツ軍将校に見つかってしまう。彼が自分はピアニストだと言うと将校はピアノのある部屋まで彼を連れて行き、何か弾くようにと命じた。

2年ぶりの演奏を静かに始めるピアニスト。暗闇の中にショパンの調べが響き渡る…とがっつり説明するとこんな感じで、この映画の画期的なところは基本戦争映画と言うのは惨たらしい描写のオンパレードで、本作のように戦争とホロコーストを扱った映画はより一層濃さを増し、耐え難い程に悲しい映画の側面を持っているのだが、この作品は少しばかり明るい部分もあったような気がする。そういったところに寄って、カンヌ映画祭でも最高賞受賞できたのではないかと勝手ながらに思う。何が言いたいかと言うと観客もしくは審査員並びに審査委員長が直視できたんだと思うそのおかげで。あまりにも残酷でグロテスクな描写だけだと途中で見なくなる人もいるし、しかしながらこの作品は最後まで150分と言う長い尺を持ちながら見終えてしまう力がある。2012年あたりにパルムドールを受賞したハネケ監督の「愛、アムール」は老いて行く老夫婦の惨たらしい人生を描いていて、たいていの観客などが直視できなかったため、当時アカデミー賞で受賞できないんじゃないか(アカデミー会員のほとんどが歳をとっている老人だらけだから)と噂されていたが、奇跡的に受賞を果たしている。そういった場合もあるので、完璧正しいと言うわけではないと思うが、私個人はそう思った。

そもそも2002年5月26日のカンヌ映画祭で最高賞が本作に決まったと言うアナウンスがされた瞬間に会場は祝福の熱い拍手で包まれたと言うのは有名な話で、今思えばポランスキーは幼い頃をクラクフのゲットーで過ごしており、母を収容所で亡くした経験を持っている人物だ。これまで彼は、あまりに心に傷を刻んだ体験と向き合う準備ができなかったと言っているように、後にスピルバーグが監督してアカデミー賞受賞した「シンドラーのリスト」の監督をオファーされた時でさえ断っていたそうだ。そんなポランスキーがいよいよ自らの原点に立ち返って渾身の力作を作ったのがパルムドールを受賞したと言うまさに彼の人生において記念碑的なポジションになる作品だと思う。BDのインタビュー映像にも載っていたが、原作はポーランドの名ピアニストで国民的作曲家のシュピルマンが自らの奇跡的生還体験を描いた回想録から作られており、ナチスの犠牲となった家族や仲間たちの悲劇だったり、立場の違いを超えて命がけで彼を救った人々の戦いを丹念にポランスキーは描いており、そして最後まで彼を支え続けた音楽への想いを強調的に描き、その一瞬一瞬の恐怖もしくは喪失との悲しみ、別れ、痛みや時にはユーモアを交えて描ききった忠実な映画化作品だと思う。

やはりこの映画は実話なだけあって、その重みが凄まじかった。描写ひとつひとつが鮮烈な映像とリアリズムで構成されており、観客の魂を揺さぶるところがあった。ここで少しばかりシュピルマンの事について語りたいと思う。彼は1939年、ナチスドイツがポーランドに侵攻した時、シュピルマンはワルシャワの放送局で演奏するピアニストだった。ワルシャワ陥落後にユダヤ人はゲットーと呼ばれる居住区に移され(映画の冒頭がそうであるように)飢えや無差別殺人に怯える日々を強いられていた。やがて何十万人ものユダヤ人が収容所へ移されるようになった頃に、家族の中でたった1人収容所行を免れたシュピルマンは、決死の思いでゲットーを脱出する(知り合いの裕福なユダヤ人警察に加わっていたヘラーに助けてもらう)。そうした中、人目を気にしない隠れ屋で淡々と暮らす日々が始まる。ワルシャワ蜂起とともに終わりを告げる戦争、砲弾が飛び交い街は炎に包まれる中、必死に身を隠し、生き延びる彼の描写が終盤あたりで写し出される。

彼の唯一の生きる希望と言うのは、心の中で奏でる音楽だけで、ある晩に彼にたどり着いた1人のドイツ人証拠に見つかってしまい、彼は食べ物などを与えてくれるいいやつであった。そこの場面から、この作品はナチスドイツ=ドイツ人全てを憎んでいると言う映画ではなく、ポーランド人にも悪い奴はいて、ユダヤ人にも悪い奴がいて、もちろんドイツ人にも悪い奴がいた。しかしながらドイツ人にも良い奴がいて、もちろんポーランド人、ユダヤ人にも良い奴がいると言う流れを汲み始めている。だからエンドクレジットでユダヤ人を救ったナチス将校の知られざる事実が伝えられ、彼がソ連で亡くなってしまったことが字幕で写し出される。ここでポイントなのか、主人公がわが国(ポーランド)を攻撃しているナチスドイツに抵抗した英雄でないと言うことである。基本的に映画化されると言うのは、英雄視されている人物が多いのだが、この主人公は全く以てそういったそぶりがほとんどない。

どちらかと言うと全てイエスマンで生きているような感じがする。例えば冒頭のシーンで、食べ物に困っているときに、自宅にあるピアノを安い値段で売ってしまうところがあり、彼の弟は断固とそれを許さず突っかかっていた(ピアノ購入しようとしている商人に)が、主人公は持っていけと言う。その他にも彼は妥協しまくる人生を歩んできている。英雄だけではなく、家族で唯一生き残ってしまって収容所で抹殺された犠牲者でもない人物である。そういった彼の人生が映画化されたのだ。そもそも家族が死んでしまい、絶望に暮れていながら、フランスで起こったレジスタンス運動やパルチザンの様に土地の住民のなかから立ちあがり、武器をとって戦う遊撃隊、別働隊にもなっていないのだ。そうすると彼と言うのは運命が生き延びさせたのか、たった1人で戦場サバイバルする場面はあったにしろ、奇跡的な巡り合わせで死を免れたピアニストと言うことになる。これが本作と他のホロコーストの映画との違いである事は一目瞭然だろう。例えば、ワイダの作品やムンクの作品はこのような作品ではない。

そもそもこの作品のように主人公(ユダヤ系ポーランド人)を助けるのが同じユダヤ人ではなく同胞から蛇蝎のごとく嫌われている敵兵だったと言う事実がなんとも一線を超えている。そこがユニークな点だろう。多分ポランスキーは単純な図式で加害者と被害者をナチスとユダヤに分けたくなかったんだと思う。もちろん原作自体もナチスにも善人がいたし、ユダヤ人にも憎むべき者がいたと強調されているように、非常にそこら辺のニュートラルな感覚が良かった。ここ最近のそういった事実をもとにする映画はどちらかと言うとバイアスがかかっているものが多いと私個人は思う。何人ものユダヤ人の命を密かに救い、自身はソ連の収容所で死を遂げたナチス将校の存在に光を当てたことも、この映画のすばらしいところではないだろうか。私はその点に非常に感動して目頭が熱くなった。しかもそのドイツ将校を演じたトーマス・クレッチマンはヨゼフ・フィルスマイアー監督の傑作「スターリングラード」に出演していたハンサムな俳優でずっと覚えていたため、当時この作品を見た時にすこぶる嬉しかった。

因みにクレッチマンは62年東ドイツに生まれて、ナショナルチームの水泳選手として80年のモスクワオリンピックに出場している経験を持っている。そしてこの作品の主演のエイドリアン・ブロディの演技も非常に絶賛されたようだが、カンヌ映画祭では残念ながら主演男優賞は受賞していない。確か「息子のまなざし」のベルギー出身の俳優オリヴィエ・グルメが受賞してたような気がした。ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督の作品出てくる役者って凄い芝居するしなぁ確かに…。もともとポランスキーは米国人俳優の起用を考えていなかったらしいが、ブロディのいくつかの作品を鑑賞して、紳士的な物腰のシュピルマンにふさわしいと考えたそうだ。本作では十数キロの減量を行って撮影の挑んだほか、ピアノの特訓を受けて本番では代役なしに演奏シーンをこなしているとの事。とりわけナチス将校にショパンをひいて見せる4分以上にも及ぶ場面は圧巻したと多くの評価が言っていたそうだ。



いゃ〜、冒頭のモノクロの資料映像とクロスカッティングされる中、 夜想曲第20番 嬰ハ短調「レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ」がラジオ局のスタジオで演奏されながら爆発音に驚くエイドリアン・ブロディ扮する主人公のショットは印象的である。んで、家族の現金をどこに隠すか言い合ってるいる場面も面白い。この映画興ざめするところが1つあって、セリフは英語なのに読んでる新聞がポーランド語って言うところがね、なんだかなぁと思う。なんてことないレストランのシーンで、ピアノ演奏を止めて金貨の音を確認したいと言う男の願いを叶える場面、食料もらった老婆の食べ物を老人が横取りして、地面に落として台無しにしたところを豚のように地面に這って口にほおばる場面、老婆が絶望して泣き去る場面も強烈。そんで、この映画最大の衝撃的だったのが、主人公の家族が向かいの家族のアパートメントにナチスがやってきて、車椅子の老人をベランダから抱えてい落とし、殺害した後に路地残りの家族を出して、皆を銃撃し、乗ってきた車で再度死体を轢いくシーンを傍観してるのは強烈である。

続く、家族が列車に乗ろうとする列に座り込んで並んでる際に、とある女性が私はなんでこんなことをしてしまったんだろうと言う独り言についてのエピソードも強烈だったし、その後に高額なキャラメルを一個購入して、それを皆で分けて食べてからの列車に乗り込み、とっさに主人公が助けられ、1人で泣きながら崩壊しているワルシャワの街を歩いてるのを真正面から捉えるショットで、子供たちが数人死んでいる(一家惨殺)に遭遇して絶望するまでのー連の描写が凄すぎる。地獄のような絵面を見せつけられゲンナリ所ではない。あのクライマックスのエンディングでピアノの手元がクローズアップされるんだけど、あれはエイドリアン・ブロディの手ではないよね絶対に。もうちょっと老化が進んでる手だった。クリストファーW・A・スペルマンと言う父親を持つ主人公の話なのだが、父親は昔から息子のことに対しては無関心だったのか、あるいは無関心を装っていたのかと息子が言うように、ー度も自分のことを叱らなかったと言っていて、彼が6歳の頃にピアノの先生が家にやってきてピアノを習うことになったが、友達と遊んでる方が楽しかったので、そこまで熱心にやらなかったらしい。

しかし彼が12歳の頃に、父親に音楽に目覚めてピアノをやりたいと言ったら、父親は今から習っても、もう手遅れだと厳しいことを言ったそうだ。苗字についているスピルマン(正式に言うとシュピルマンだと思うが)と言うのは、ドイツ語で楽器を演奏する人と言う意味があるそうで、父は代々から音楽家の家系であり、職業的な苗字だったことが明かされている。だからほぼクライマックスで優しい陸軍大尉のヴィルム・ホーゼンフェルトが、いかにも音楽家の名前だとウワディスワフ・シュピルマンに言うのはこのことだろう。本作はありきたりなホロコースト映画ではなく、前編後編にうまく物語の流れが作られていて、退屈しない。前半部分がいわゆるユダヤ人の受難な人生を描いたとするなら、後半は、いかにどう生きるかと言う静謐なストーリーになっている。特に緊張する場面が終盤だろう。いよいよ主人公がホームレスのようにヒゲを生やして痩せ細くなり、極限状況にまで入ってくる感じが特に緊張感ます。

俺いつもこのようなユダヤ人関係の映画だったりホロコーストの映画を見ると思うのだが、ゲットーを脱出すると言う下りがこの作品にもあるんだけど、結局のところドイツが全てを支配しているのだから、ゲットーを命がけで脱出したところで外も支配下にあるわけで全く以て命の危険度は変わらないような気がしてならない。しかも虐げられてきた民族によるネットワークが少なからずあって、もしそれがばれてしまったらもちろんのことを援助した人間も殺されてしまうと言うリスクばかりであるため、このようなことをするのは理にかなっていないとは思う。しかしながらゲットーと言う空間にいるのが居心地が悪いと言うよりかは、死に近づいている感じが直に伝わってくるのだろうなと思う。主人公がナチスドイツの将校に意見を言っただけで思いっきり顔をぶん殴られる始末だし。まだ外にいれば何とか奇跡が起こり、逃げ延びることができるかもしれない。実際この作品の主人公は奇跡的に逃げ延びているし。

それにしてもワルシャワ・ゲットーの歴史と言うのはあまりにも悲惨である。1939年9月1日に第二次世界大戦が始まったのはご存知の通りで、ポーランドの首都ワルシャワはドイツ空軍が真っ先に狙いをつけた標的の1つだと言う事は周知の通りだろう。確か9月8日、ワルシャワはドイツ軍によって包囲されポーランド軍やステファン・スタジンスキ市長市民たちは抵抗するが、住民とレジスタンス兵士たちは停電と水不足、食糧不足に苦しめられ、全面降伏を余儀なくされた。ドイツがポーランド占領後、ナチス親衛隊いわゆるSS警察とゲシュタポ(ナチスの秘密国家警察)を使い、意図的かつ残忍なやり方でユダヤ人の人口を減らし、堕落と飢えをもたらし、家の財産を没収し、無差別殺人を行なっていくのだから半端じゃない。劇中にもあるように、ドイツ人は我々の財産や家具などをいろんなものを盗んでいくと言うセリフがあるように、ほとんどとられてしまう。だからほぼクライマックスでとある音楽家のポーランド人(ユダヤ系)がお前らに俺は全てを持っていかれたと吐き捨てる場面はこういうことが背景にあるのだろう。

他の作品でもトレブリンカ収容所などを舞台にした作品があるように、その行き着く先はユダヤ人の根絶あるいはナチスの言葉によれば最終的解決であるかのように、この映画もそういった流れを少しばかりだが映している。そして劇中で結構な人が腕につけていたダビデの星と言うのは、白い腕章の着用義務付けられている証で、財産や所持金の没収命令などが相次いでいて、その腕章をしている人たちは悲惨な目にあっている。確かその人たちは交通機関の使用は禁じられており、公園にも立ち入りできなかったんじゃないだろうか、ベンチに座ることもできない。そうそう、この作品で父親がぶん殴られるシーンがあって、舗道を歩かずに溝を歩けとドイツ軍の兵士に言われる場面があるがそのこともそれらが背景だろう。すれ違い側に、呼び止められてなぜ頭を下げなかったと言う不条理な質問もされていた。それにどこまでも人を馬鹿にしたかのように、家畜用の貨物列車に無理矢理乗せられてワルシャワの北東80キロに設置された先ほども言ったトレブリンカ絶滅収容所へと送られ87万人が殺されたと言う事実は有名な話だ。

しかも、ゲットーの中ではSS将校が住民たちを気まぐれに射殺したと言う話は、この作品で向かい側のアパートに住んでいる一家惨殺されたのがそれらを物語っている。こうした無差別殺人や人口過密による飢餓問題や伝染病などで多くの人が死亡したと言うのは残酷極まりない。ここまでくればユダヤ人だって死を直面した際に出る馬鹿力を使って、増え続ける略式処刑の数の多さにナチの狙いを確信して、人々がようやく蜂起に立ち上がり、社会主義シオニズム運動の指導者を先頭に、ユダヤ戦闘団とともにドイツに対して反乱を起こし、武装していたわずか数百人が、戦車や重砲を投入してゲットーを破壊しようとするドイツ軍を相手に彼らは1月近くも激しい抵抗を続けた話もある。本作の主人公のシュピルマンが戦争中の体験の回想録を出版する際に、戦争直後のポーランドでは、ドイツ人がユダヤ系ポーランド人の命を救った内容の本を出版する状況にはなかったため、助けてもらったドイツ人をオーストラリア人として書いたが、共産党が、第二次世界大戦における犠牲者と加害者の姿を公平に書いたため、発禁処置を出したそうだ。

ドイツ人将校のボーゼンフェルトは、祖国ドイツでは子供への深い愛情を注ぐ、心の温かい教師だったと言う。ドイツ軍の敗北後、ソ連軍の捕虜となり、スターリングラードにある戦犯収容所に収容されたが、そこでは心身を痛み、1952年に亡くなったそうだ。名前すらわからなかったドイツ人将校が、彼だと判明した頃には、シュピルマンと同じく、彼に命を助けられたユダヤ系ポーランド人の存在があったそうだ。このことについては映画では言及されていない。その人物が当時の西ドイツにあった、彼の実家を訪れた際に、夫人から提示された彼が助けた人のリストの中にピアニスト、シュピルマンの名前を見つけ、接触を試みたそうだ。シュピルマンは彼を救うべく、ポーランドの権力者に直談判するものの、結局その要求が果たされる事はなかったそうだ。命の危険を覚悟で、多くのユダヤ人、ポーランド人を救ったドイツ人将校の勇気と善意は非常に我々観客にとっても感動するものだろう。それにもかかわらず、彼は悲劇的な最期を迎えてしまうのだからそこに慟哭する自分がいた。これもまた戦争が引き起こす不条理な事柄なんだろうなとは誰しもがこの映画を見て最後に思うのではないだろうか…。


こういったホロコーストの映画を見る際は、必ず地政学(地図を見るように)しているのだが、やはり毎度のことながら地獄絵図を見ているような感じがする。ポーランドを中心として地図を見ると左側にドイツがあり右側にはリトアニア、ベラルーシ、ウクライナ、ルーマニアと挟んで、大国ロシアがあり、その斜め左下にはチェコがあってオーストリアがありその隣にはハンガリーその上にスロバキアがあり、さらにドイツの左側はオランダ、ベルギー、フランスと続き、その上にはデンマーク、スウェーデンとあるのだが、この地図を見るとやはりいちど国が消えてしまったポーランドは多くの独裁国に挟まれていることがわかる。実際ポーランドにあった絶滅収容所と言うのは6つあって、先程言ったトレブリンカを始めとし、ヘウムノ、ソビブル、マイダネク、アウシュビッツ、ベウジェツである。因みにソビブルは「ショア」で有名なクロード・ランドマンの作品の題材の1つになっている。

私個人、ポーランド派と言う作品がものすごく好きでたくさん見てきたのだが、そもそも彼ら(ユダヤ人)の先祖がパレスチナの地を覆われ、世界各地へと散らばり、ヨーロッパを東へ東へと進んだユダヤ人が比較的寛大に彼らを受け入れてくれたのがポーランドでありポーランド人である。だからポーランドに多くのユダヤ人が定住しているのだ。しかしながら周辺諸国と常に緊張関係にあったポーランドは、分割されて地図上から消えてしまう歴史もある。再び独立国家となるなどの歴史を繰り返す悲惨な目にあっているのだ。ポーランド人は祖国の解放と独立のために何回も立ち上がっている。このような映画はポーランド監督の作品に多く見られる。近年ではパレスチナとイスラエルの紛争が絶えないのだが、この手の作品に言及する際に、私が必ず言う事例があるのだが、もし日本がユダヤ人にとっての約束の地であり、すでに日本人が住んでおり生活をして、文化や伝統を築き上げた土地にユダヤ人がやってきて、ここは我々の約束の地だからここは我ららのものになるといい、今のパレスチナが追い出されるような環境を日本に例えると到底頷けられないものがある。

だからスピルバーグが撮った「ミュンヘン」と言う作品はバイアスがかかりすぎて大嫌いなのである。そもそもスピルバーグ自身ユダヤ系であるし、パレスチナのことをよく思っていないのではないかと言う疑いを持ってしまう自分がいる。といっても、パレスチナはパレスチナで、自分たちの教会を爆発させ、子供たちを死なせ、それをプロパガンダとしてイスラエルが攻撃して子供を殺したと言う自作自演をしていたりもしているためパレスチナの行動も看過しがたいが、イスラエルは核兵器も持っており、アメリカのバックがあるためかなり強いのである。そして話をポーランドに戻すと、ワルシャワは4回の空襲を受け、ドイツからもソ連からも侵攻される始末である。確かソ連は東ポーランドに侵攻していたと思われ、ワルシャワは陥落してしまう。独ソ友好条約が成立し、ポーランドは西部をドイツ、東部をソ連、ワルシャワを含む中央部をドイツ人総督が統治することとなった歴史は誰もが学校で習うことだと思う。

そんでそこから地獄のような生活がユダヤ人に虐げられるのは言うまでもない。社会生活上の差別に始まり預金の凍結は当たり前のこと、雇用の禁止、強制労働、食料の配給はポーランド人の半分以下と言う信じがたいものである。それにユダヤ人とすぐにわかるように腕章の着用も義務づけられるのだ。でもやはり戦争かと言うのはカオスな状態で、同胞にも惨たらしいことをしたり、賄賂をもらって密告したりともはや見たくのない真実が多くあってほんとにゲンナリしてしまう。特に本作のワンシーンで出てくる小さな子供が壁の外から食料を取ろうとした時に殺されてしまう場面はあまりにも酷すぎる。そしてゲットーの中で生きるために音楽を奏でる人たちが映されるのも、生きるためなのだろう。実際にゲットーには有名な音楽家たちがいたそうで、私の大好きなアンジェイ・ワイダ監督の90年代の傑作「コルチャック先生」もそこにいたのである。実際にシュピルマンもコルチャック先生が列に並んでいるのを見かけたと発言しているため、この作品と同じく「コルチャック先生」も観ることをお勧めする大傑作だから。

ちなみに1941年6月にドイツは友好条約を破り、ソ連に侵攻をして、ポーランド人がそれまでソ連に不信感をいただいていたが、ドイツを共通の敵とすることになった。ちなみにソ連はドイツにやられたそういった条約破りを我々日本にもしてきた。それが日ソ中立条約の破棄である。基本的にシベリア抑留と言う惨たらしい事柄がピックアップされがちだが、私からすれば、三船殉難事件ほど、惨たらしい事件もないだろうと思うのである。詳しい事はここでは説明しないが、軽く言うと、増毛沖の海上でソ連潜水艦L-12の雷撃で撃沈され、乗員乗客638名が死亡し、生存者は61名もしくは62人の最悪の事件である。乗っていた中には多くの女性や子供がいて無差別テロと言うしかない。今も北方領土が返ってこない始末であるし本当にロシアは許せない。エリツィン政権の時(ソ連が崩壊した時)が唯一の返還時期だったと私個人は思うのだが、当時の国会は何をやっていたのだろうか…と、また話が脱線しまったが、まぁそーゆー惨たらしい歴史があるのですよ。

そういえばこの作品は相当なエキストラがいたのだが、みんな非常に良かったなぁ。顔つきなど。確かブロディを探す時にロンドンで応募したと監督は言っていたが、1400人もの候補者が名乗りを上げたが中には中国人や黒人女性までいたと言っていたのが驚きだった。長々とレビューしてきてしまったが、最後に、ポランスキーがクラクフのゲットーを脱出したときにドイツ兵に見つかったときの経験を、エイドリアン・ブロディ演じるシュピルマンが収容所へ送られる家族から1人引き離される場面に重ね合わせているそうだ。実際に回想録ではシュピルマンは走っている設定になっているが、監督は自分の当時を振り返り、とあるドイツ兵が走らないほうがいいと自分に行ってきて、それを本作に取り入れている。だからブロディ演じるシュピルマンは廃墟と化した街を歩いているのだ。走るとかえって注意を引くからである。結構有名な作品なので見てる人も多いと思うがこれらの情報を知った上で再度鑑賞すると違った体験ができるかもしれない。まだ未見の方はオススメだ。
Jeffrey

Jeffrey