けんた

くじらびとのけんたのネタバレレビュー・内容・結末

くじらびと(2021年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

ワクチンを打つか、打たないか。
マスクは必要か、意味がないか。
コロナのせいで世界は分断された、いやいや、政治家がシゴトをキチンとしてくれないから世の中が分断したんだ、などなど、もうみんな言いたい放題ですが、結局自分の頭で考えて自分で選択するしかないわけで。正解か不正解か、白か黒かの二極化などでは物事は判断できないこともある。

自然保護や環境問題において、例えば捕鯨問題もそうだ。ある国にとっては数百年以上、代々続く鯨漁であり、そこに住まう人々にとっては替えのきかない貴重な栄養源だから、禁止することはないという賛成派。
鯨は絶滅の危機に瀕しているからすぐにでも禁止すべきであるという反対派。
両派の意見は交わることはない。

こんなデータもある。日本の捕鯨調査で捕獲する数は乱獲レベルではないので、現在の資源量には問題はないという。(このへんの問題に詳しい方はぜひ教えてください)

さて、本題である。ドキュメンタリー映画「くじらびと」を観た。捕鯨がテーマの映画である。

舞台はインドネシアのレンバタ島ラマレラ村。人口1,500人の漁村だ。痩せた土壌のため、畑を耕すことができない。それは農作物が作れないことを意味する。太陽の土地を意味するラマレラ村では、鯨10頭を獲ることができれば、村人全員が一年間、豊かに暮らすことができる。しかし漁期である5-8月の4ヶ月間に一頭も獲れないこともある。まさに、生きるための捕鯨だ。

ラマファと呼ばれる鯨狩人たちが手銛一本で巨大なマッコウクジラに向かって、船から海へジャンプする迫力には心を震わせられた。それは太古の昔から変わらない、400年間も続いてきた海洋狩猟民族の営みである。鯨は自らの血の色で真っ赤に染まった海の中で、生き延びようと、必死に漁船に体当たりをする。巨大な尾びれで撮影隊の乗る船の側面をぶっ叩くシーンには戦慄した。

鯨狩人はこう言う。

「怖くなるので銛を刺す瞬間は、絶対に鯨の目を見てはいけない」

映画監督・石川梵さんが撮影した、鯨の目の写真が劇中に使われているのだが、とても印象的な写真だった。鯨の目は何を語ろうとしているのか...。

ラマファ(鯨狩人)の乗るテナ(鯨船)を造るアタモラ(船大工)の言葉も忘れられない。

「テナ(鯨船)はスピリチュアルな存在だ。テナには魂がある。なにか悪い行いをすると、テナは見ているんだ。そして、時には災いを起こすことがある」

この言い伝え通りに、夫婦喧嘩をしたまま夫が漁の最中に命を落とすという、悲しい事故も映されている。残された妻は自分のことを責め続ける。見ていてとても苦しくなった。葬儀で泣きじゃくる子供たちに、涙を静かに流すご両親。物語は途中から、残された遺族たちが愛するものの死を、いかに乗り越えていくかにスポットが当てられる。

海で死人が出たら数ヶ月間は喪に服すため漁に出られなくなる。その間のテナ(鯨船)の新造を通して、遺族たちは立ち直ってゆく。鯨狩人の息子を失った父親は、島で有名なアタモラ(船大工)だ。

「テナ(鯨船)は15年に一度造り替えられるのだが、新造されるテナには、古いテナの一部が使用される。魂を引き継ぐためだ。テナは生きている。だから鉄の釘は刺せない。設計図もスケールも使わない。魂と会話しながら造るのだ」

村人たちの、鯨に対する敬意が感じられるシーンだった。

村の長老の言葉で映画は締められる。

「私たちは鯨を殺すけど、私たちは鯨に感謝している」

30年間、ラマレラ村に通い、村人と交流してきた石川梵監督にしか撮れない映画だ。撮影に要した期間は3年間。初年度は鯨漁に同行するも、一度も鯨が出なかったと言う。映画の題材も素晴らしいが、ドローンや水中カメラなどで撮影された大迫力の映像にも度肝を抜かれた。

コロナ渦で、命の重さや生きる意味を考えて考えて悩み疲れた方にぜひ見ていただきたい映画です。映像化されたら絶対に買う。
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