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流浪の月のmomoのネタバレレビュー・内容・結末

流浪の月(2022年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

流れメモ
原作ファンです。

原作は、更紗の幼少期から女児誘拐事件に至るまでの経緯が割と濃密に語られているので、その後の「可哀想な子」という宙ぶらりんな評価が最も虚無であることを感じるのだけど、映画は事件から15年後の現在を主軸にされていたので、原作ファンからすると説明不足に感じてしまう部分が多少あった。
多分私が原作をラストまで読んで感じたこの話のフォーカスと映画で伝えたかったフォーカスは微妙にズレてるのかも。

他にも映画という媒体を通して変化したりした部分や2人の詳しい心情などきっとまた別角度の発見があると思うので、まだ原作未読の人は是非読んでみて欲しいなって思う。谷さんもだいぶ端折られてるし…。映画での、谷さんの「ロリコンだからセックスをしなかったのか」と言う問いと文の答えは原作の印象とちょっと違う気がする。なんせ映画では谷さんの人物像が曖昧なので。

でも、媒体が変わり作り手が変わったのだからその変化は当たり前で「映画:流浪の月」として見るべきなんだよね。
映画:流浪の月では、15年前の出来事は幾つかの差し込まれる過去シーンで2人の幸せだった生活を、苦しい過去の片鱗を知れる。
現在を主軸にしているとすると、この片鱗は更紗と文のキーワードで繰り返される現在と過去の行き来は、物語を混乱させるのではなくパーツを当てはめていくかのように進行していく。
この時系列の並びは、きっと編集でものすごく練り直されてるんじゃないだろうか…そのくらい大胆だけど緻密に編集されてたと思う。

「女児誘拐事件」っていうのは、他者が名付けた事実の名前。
他者の正義感や善意が肥大して当事者の真実を奪う事って大なり小なりあると思う。
「可哀想な子」を、「可哀想な子」たらしめているのは、本人じゃなくて私達ってこと。もっと無自覚な正義を思い直した方がいいんじゃないか。形成されてきたはずの、自分の正しいはずの正義感が音を立てて崩れていく感覚だった。

誤解と偏見に、打ち勝つのは困難だ。
私たちの目は、思ったより真実を見つめる事はできない。それは同じく反転して起こり得ることなので辛い。

映像に関していうと、好みの問題が大きいので何とも言えない。喫茶店で文と再会するシーンのフォーカス送りにはちょっと痺れた。私は展開を知ってるのに、もしかして文なのかな。そんなドキドキがあった。水辺のシーンも全般好き。私は整頓された構図が好きなので、種類の違う何か素晴らしいものとしかまだ分からない。

音楽に関して、近年の映画はME含めてベタ付けが主流なのでこの作品もそんな感じだったけど、一点めっちゃ気になったのは過去と未来の切り替えとかシーンの切り替えかな、タイミングは完璧には思い出せないんだけど重低音のME這わせてた?胸のざわつきみたいなのが自分の心臓とリンクしてなんか増幅されてる感覚だった。音楽で包むっていうのは演技と相まって心情が綺麗に動くのでやはり効果的なんだな。

編集に関して、過去と未来の切り替えしが続くけどカットの繋ぎ方すごく良かったな。
切り替わる前に断片が見えて答え合わせ的にさらさがソファに座り込んでるところとか次シーンへの不穏や予感の繋がりが良かった。

文に関して、松坂桃李は些か男性的過ぎるのでは無いだろうかと思っていたけど映画を見ると少年さを感じる雰囲気と体格のアンバランスな肩幅や細身の体が、実際の文とはもしかしてこうかもしれないという説得力があった。髪型話なんだけど頭部が丸いと人は幼い印象になるな。
更紗に関して、広瀬すずちゃんが演じると知った時はすごく可能性を感じたし多分私が見るのはきっと更紗なんだろうなって信頼があった。実際、本当にそうだったし。
展開を知ってるという不利なわたしにも、2人の演技はすごく届いた。
一緒に観に行った友人にはもっと届いたらしく、ボロ泣きしてた。

ラスト、文は自分の身体的な欠陥を更紗に打ち明けます。2人は一緒にいる事で互いに安心と解放を得れるのですが、それは恋愛とはちょっと距離のある確かな愛情です。
映画も小説もフィクションに過ぎないので、2人のような関係は現実には成立不可なのかもしれない。でもひとつの希望の到達点としてあると信じてみたいです。
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