浦切三語

階段下は××する場所であるの浦切三語のレビュー・感想・評価

3.6
原作は『小説家になろう』掲載の、羽野ゆずの同名小説。Twitterで神谷監督に教えられたのですが、なんとこの原作小説「書籍化」されてません。つまり「なろう掲載→書籍化を経ずに映像化」という、なろう民からしたらありえない飛躍をしてるんです。すごくないすか? めっちゃすごいですよね!? そこもっと宣伝でアピールしたらなろう民はみんな食いつくと思うよ!

それで感想なんですが、鑑賞した直後は「まあインディーズ映画だし、こんなものか」な具合だったんですが、しかし時間が経つにつれてじわじわとボディブローのように余韻が広がっていくという、なんとも不思議な映画の生理を持つ作品でした。

やや仰々しい台詞回しに、わざとらしい手の振り方。大袈裟な表情の演技。「アニメ的な手法を実写に持ち込む」ために「キャラクターの記号化」という選択を取っていながら、その一方で撮影面では、あざといアングルやこれみよがしなカットが極端に少ないのが、この映画を「アニメ=記号」と「実写=一義的」のギリギリのところに立たせている最大の要因であると私は考ました。

そしてこの映画、とにかくやたらとカットが多い。全部で三話から成るオムニバス形式なんだけど、どの話でもカットが多くぎゃうぎゅうで、はっきり言って「わざとらしすぎるだろ」と苦笑したのも事実。普通ならカットを割らずに撮影するような場面でも、無理やりカットを割っているので、これもう明らかに確信犯である。そして追加するなら「カット尻も妙に長い」ので、なんだかダイアローグももっさりしてる。

ところが、こうしたひとつひとつは歪な要素が、まとまってスクリーンに展開されると、奇妙なことに「オフビートなノリの日常ミステリー」という一面を獲得するので、これは本当に不思議な生理を持つ映画です。

山形県の素朴な風景のなかで、我々の現実がそうであるように「さりげないショット」のなかで、過剰な演技、過剰な台詞回しをするキャラクターたち。その、ある種「舞台劇」に近い、しかし「舞台劇」ほどの強力な虚構は決して持たないという、このオフビートな「塩梅」が、なーんか「目を離しちゃいけないな」って気分にこちらをさせてくれる。久しぶりにいいインディーズ映画、青春映画を観たなあって感じです。
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