【パリ、テキサスで】
ヴィム・ヴェンダース作品で劇場で初めて見たのは、この「パリ、テキサス」だった。
なんて美しい映像作品なのだろうかと思った。
今でも本当に大好きな作品だ。
今回のBunkamuraル・シネマで、ヴィム・ヴェンダース・レトロスペクティブとして10作品が上映されることになって本当に嬉しい。
この「パリ、テキサス」は、ヴィム・ヴェンダースの真骨頂ともいえるロードムービーの一つとされているが、その構成が、何とも言えず印象的だ。
ある意味、カノンのような感じ......というか、物語は二重構造になっている。
そして、能動的ではなくて、受動的な視点が重要に思える。
トラヴィスは、弟に見つけてもらった。
息子に会わせてもらった。
打ち解けてもらえた。
そして、ジェーンの仕送り。
だから、
ジェーンも見つけられるべきだ。
これは、自分が見つけなくてはならないという能動的な衝動とは異なるような気がする。
息子に会わせられるべきだ。
打ち解けてもらうべきだ。
最後の、ガラス越しの、トラヴィスとジェーンの会話は、4年前だったら、感情表現もままならず、平行線で交わることもなかっただろう。
たった、一枚のガラスを挟んで、想いを語り合う二人。
長い時間が必要だった。
だが、理解は深まった。
実は、僕たちの大切な人との関係も、ずけずけと入り込むより、ちょっとだけ距離を取る方がいい関係でいられることは多い気がする。そんな風にも感じる。
見つけられたジェーン。
息子に会わせられたジェーン。
息子に抱擁されたジェーン。
冒頭で、受動的と書いたのは、自ら掴み取るとかではなく、きっと皆に幸せが降ってくるように思えたからだ。
この「パリ、テキサス」を観て、映画は想像を膨らませて観ることが出来るのだと思った。
僕はいつか、この三人はまた出会うと思う。
パリ、テキサスで。
これは、僕の希望の物語だ。
※ ジェーン役のナスターシャ・キンスキーは本当にきれいだと思った。そして、ジェーンが、僕の持っていたウォークマン初号機を持っていることが、ちょっとした優越感にもなった。僕の大切な作品の一つだ。