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余命10年のnのネタバレレビュー・内容・結末

余命10年(2022年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

最近とある本に「情熱」と「愛」の違いについて書かれてあって、私たちが普段目の当たりにする「恋愛モノ」のほとんどは、なんらかの障害のおかげで「情熱」を保つことができるだとかなんだとか。よって描いているのは愛ではなく情熱であると。

この作品も例に漏れず主人公には「余命」という障害があり、本当は両思いなのに余命のことを打ち明けずに何度も彼の思いをつっぱねたりするんですね、

つっぱねられた方はその障害ゆえに主人公への情熱を捨てられず、ついには主人公もその情熱に負けて付き合うわけです。

ですが終盤で主人公は、これ以上一緒にいると死にたくなくなっちゃうからという理由で、その彼と別れることを選びます。

まあこれは本心ではなく、かのジブリ映画『風立ちぬ』菜穂子のように、自分の綺麗な姿だけ見せたかったのかもしれんし、楽しい思い出のまま終わりたかったのかもしれんし、そこんところは想像するしかありません。

(もっとも岡田斗司夫曰く、風立ちぬの菜穂子は二郎が零戦を完成させ、自分の役目が終わったからサナトリウムに帰ったのであって、綺麗な姿だけ見せたいというのはあくまで女キャラの感想であると言っていました)

話を余命10年に戻して。

そして一人になった主人公は自分が生きた証を文章に残し、それが出版されるというわけでございます。

またまた風立ちぬの菜穂子を引き合いに出してしまいますが、菜穂子は残りの人生を二郎の偉業を支えることに捧げ、この余命10年の主人公は自分が生きた証を綴ることに捧げたという違いがあります。


それは当人たちの気質の違いによるものなのか、時代のあり方の違いによるものなのか…


自分でもこの映画を観ながら風立ちぬのことを考えるなどとは思いもしませんでしたが、なんだかそんなことを考えるなどしました。ハナっから純粋に感動したいなどという気持ちで観ていないとこうなるのかもしれません。

どんなに健康な人だろうと明日死ぬかもしれないし、人間誰でもいつかは必ず死ぬので、私はどうせ死にますから別れましょうなんてのは、たとえ本心ではなくてもおかしな発言だなと個人的には思うのだけど、これも生き方も死に方も「自分で選ぶ」時代ならではかもしれません。

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